新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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カテゴリ:不掲載・未発表( 13 )

(平成12年5月中旬稿)

【『諸君!』平成12年5月号において、私は八木秀次氏、松浦光修氏、浜田耕司氏と四人で「三重教育界で何が起きているか」という座談を行った。その時、八木氏は鈴鹿国際大学の久保憲一教授が人権センターの展示を批判したことを理由に事務職員への降格を命じられた問題を取り上げて、「学長を含む大学当局の醜態ぶり」は「あまりにもだらしない」と批判した。すると、勝田吉太郎鈴鹿国際大学学長(当時)が『諸君!』の翌月号に「大学の名誉のために一言」という弁明を寄稿された。本稿は、その勝田氏の弁明を批判するために執筆し、『諸君!』編集部に掲載を依頼したものであるが、勝田氏の問題はこれ以上取り上げないとの編集部の意向により掲載されなかった。】


 鈴鹿国際大学学長であり、現在政府の教育改革国民会議の委員を務めておられる勝田吉太郎氏が、『諸君!』六月号に「大学の名誉のために一言」という題で“自己弁解”の一文を寄せている。弁解の直接の対象とされているのは、『諸君!』五月号に掲載された私を含む四人の座談会「広島の二の舞を許すな!三重県教育界で何が起きているか」における高崎経済大学助教授・八木秀次氏の発言である。勝田氏はここで八木氏の発言を、当地(三重県)の事情にうといと思われる一教授の“気楽な批判”としか思われない、と非難している。ならば同じく「当地」の私立大学に身を置き、いささか「事情」に通じている私が座談会に参加した者を代表して「一言」申し上げてもあながちお門違いではあるまい。加えて私は『正論』六月号に掲載された拙論「自由を押し潰す“空気”」の中で鈴鹿国際大学の久保憲一教授が教授職を解任されて事務職に降格された事件に言及し、「勝田氏は自らの名誉のためにも事の詳細を明らかにすべく口を開くべきであろう」と書いた経緯もある。そこで以下、勝田“弁解”に対する私の考えを述べ、あわせて「当地の事情」についてもいささか説明させて頂きたいと思う。(つづく)
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by nitta_hitoshi | 2006-10-16 10:32 | 不掲載・未発表
(平成12年6月、「産経新聞」アピール欄への投稿)


 現在、三重県では「三重県男女共同参画推進条例(仮称)」の制定が急ピッチで進められている。この背景には、本年十一月に津市で開催が予定されている日本女性会議の全国大会にこの条例の制定を間に合わせて“手土産”代わりにすると同時に、全国の手本となるものを作って男女共同参画先進県ということで三重県を全国にアピールしたいという県の思惑があるようだ。ところが、公聴会において県民に提示された「中間報告」は憂慮に耐えないものだった。

 最大の問題点は、東京都などの先行する条例が「固定的な役割の強制」を否定して男女の機会均等を意図しているのに対して、三重県の条例は「基本目標」において男女の固定的な役割分担「意識の是正」を意図していることである。これを受けて「県民は、性別による差別意識や固定的な役割分担意識を見直し、男女が共同参画することに価値を見出すよう努めなければならない」と規定されることになるらしい。「制度」ばかりか「意識」の是正までも条例で行おうすることは、明らかに全県民に一定の思想内容を強制するものである。何故なら、個人の自由な思索の結果として、「男女にはそれぞれの『らしさ』があり、その『らしさ』に相応しい役割分担があってもいい」と考えらることさえも是正の対象とされてしまう可能性があるからだ。

さらに、三重の条例には罰則規定を盛り込むことも検討されているらしい。それがどのような内容になるのかついては未だ県民には明示されていないが、もし実現すれば、男女共同参画社会形成の責務を有する主体の一つに指定されている民間の「事業者」に深刻な打撃を与える可能性がある。無理な基準を提示され、しかもそれを達成できなければ罰せられるというようなことにでもなれば、経営不振に陥ったり、三重県から撤退する企業が続出するのではあるまいか。

教育行政に関してはようやく従来の負の遺産を清算しつつある三重県だが、ここでまた新たな負債を背負い込むことになるのではないかと危惧される。
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by nitta_hitoshi | 2006-10-13 20:27 | 不掲載・未発表

研究旅行のエピソード 

(平成11年)


 私が勤務する皇學館大學では、三年生の秋に研究旅行というものを実施しております。日頃学んでいることにちなんだ地域に出かけて実地見学を行うことを目的としたものです。今日は、その中でのエピソードを紹介しようと思います。

 私のゼミは、今年[平成11年]、松浦光修先生のゼミと合同で、九州地方へ出かけました。知覧と田原坂をメインとするコースです。いうまでもなく、知覧は大東亜戦争末期に特攻基地がおかれたところ、田原坂は西南の役の激戦地です。大東亜戦争と明治維新という険しい坂を日本が越える時に、命を捧げて下さった先人たちを偲ぶことが目的でした。

 ところが、この旅行は最初にトラブルに見舞われました。名古屋空港で、私たちの前に飛ぶはずだった飛行機が故障し、急遽、私たちが乗るはずだった飛行機を先に飛ばし、私たちは修理した飛行機に乗せられることになってしまったのです。修理を待っている間に、背中に「南無阿弥陀仏」と書いた白装束の人々が目の前を通り過ぎていったりして、何とも不安な気持ちでした。そして、やっと搭乗のアナウンスがあって乗り込んでみると、結局、修理出来なかったので超低空で飛ぶことにしたという説明です(操縦席のフロントガラスのヒーターが故障して霜取りができなくなったとのこと)。

新田「こんな気持ちを味わわされたんだから、着陸したらお詫びのしるしに何かくれてもいいよね」
松浦「何がいいと思う」
新田「そりゃ九州だから明太子でしょう。御免タイって言いながら配るべきだよ」
とはいうものの、超低空飛行のお陰で瀬戸内海の景色を満喫することができました。

さて、初日に訪れた知覧では、松浦ゼミの女子学生が目にハンカチを当てながら、若い特攻隊員の遺書をじっと読んでいる姿が印象的でした。日頃無礼極まりない我がゼミの学生たちも神妙な面もちで見学していました。同世代ということで、ひときわ胸に迫るものがあったようです。

 田原坂を訪れたのは三日目でした。里見浩太郎主演『田原坂』前編を事前に見せておいたため、つかみはOK。学生たちの関心は高く、見学時間が短かったという不満が聞かれるほどでした(『田原坂』後編は帰ってから見ました。鑑賞した全員が泣きました。もちろん私も松浦氏も)。

 この日の夜は旅行最終日ということで宴会を兼ねた夕食ということになりました。宴も終わりに近づいた頃、トイレに立った学生が「先生、近くで朝日新聞が宴会をやってます」と言いながら戻ってきました。すると一人の学生がすっくと立ち上がって「僕、カラオケを歌います。パール判事に捧げる『ガンダーラ』!」と叫びました。さらに、この学生は歌い終わると「東京裁判は不当だぁ!」と雄叫びをあげたのです。

新田「じゃ、そろそろシメようか。どうやってシメる」
学生たち「そりゃ、やっぱり、なんといっても、時と場所を考えれば、国歌斉唱と聖寿万歳しかないでしょう」
松浦「よ~し、窓と扉を全部開けはなてぇ~」
こうして学生たちと国歌を二回斉唱し、松浦氏の先導で「天皇陛下万歳」を三唱しました。

「あ~気持ちよかぁ」と言いながら、みんなで朝日の宴会場の前を通りかかると、さっきまでは開かれていたという宴会場入り口の扉がピシャリと閉められていました。若者達が歌う「国歌」はとても耐え難いものだったのだろうと推測します。
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by nitta_hitoshi | 2006-10-09 22:40 | 不掲載・未発表