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by nitta_hitoshi
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2007年 02月 09日 ( 1 )

[「吉野熊野新聞」平成14年9月26日]

「ジェンダー・フリー」という言葉を御存知だろうか。知らないではすまされない。なにしろ、熊野市では、今年から実施される「男女共同参画ステッププラン」の中で「ジェンダー・フリー」の視点からの教育や子育てを進めることを宣言しているのだから。ところが、この「ジェンダー・フリー」というのは、実は恐ろしい文化破壊思想なのである。

 平成12年に「日本女性会議」が津市で開かれた時、一人の志摩の青年が誇らしげにおおよそ次のような発表したという。「自分たちの地域は昔から男女共同参画社会だった。夫婦で沖へ出て、夫は命綱を握り、妻が海へ潜って、共に生活を築いてきた」と。すばらしい話である。ところが、この発言ほど「男女共同参画」「ジェンダー・フリー」に対する「麗しい誤解」と「強烈な反論」を合わせもった例もめずらしい。

 何故なら、「ジェンダー・フリー」が目指しているのは、単に男女が共同して社会を築く状態を促進するということではないからだ。「ジェンダー・フリー」というのは、「男女の区別」そのものが「女性に対する差別」の原因である見て、男女の区別や役割分担そのものをを否定する思想なのだ。だから、先の例で言えば、男と女が交替で命綱を持ち、男も海にもぐらなければ、「ジェンダー・フリー」の社会とは言えないのである。

 それだけではない。男女を区別するということは、男が支配者で、女が被支配者である構造を維持するものだと見なされる。だから、男が海の上で綱を握り、女が綱をつけられて海に潜る、つまり、「男が上にいて、女が下にいる」「男が女に綱をつけて、それを握っている」などという構図は絶対に認められないものなのだ。

 このような極端な考えの裏には、女はこれまで男によって虐げられてきた哀れな存在だったという女性の歴史に対する否定的な見方がある。これによって、日本女性の伝統的な在り方、行動様式、美徳といったものが、すべて「差別の結果」として否定される。これは過去の日本女性に対する著しい侮辱だと私はかねてから思っていたが、先の青年の発言は、私の考え正しさを証明してくれているように思う。

 志摩の海女さんたちは、男の奴隷として海に潜ってきたのだろうか。日本女性は鵜飼いの鵜のように男に操られてきたのだろうか。そうではないだろう。基本的には、女性の特性と男性の特性をしっかりと見極めて、互いが尊重し合う中から、それぞれに役割を分担して、家庭や社会を築いてきたのではなかろうか。

 しかし、こうした考えは「ジェンダー・フリー」の視点からは絶対に認められない。つまり、「ジェンダー・フリー」というのは、日本女性の伝統的な姿勢を男に対する隷従だと決めつけて、その誇りを真っ向から否定する過激な文化破壊思想なのだ。(つづく)
by nitta_hitoshi | 2007-02-09 10:04 | 新聞