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by nitta_hitoshi
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2006年 10月 08日 ( 1 )

「所信」と「初心」 

(『伊勢青々』平成11年7月23日)


 私は、本年(平成11年)八月号の『正論』に立花隆批判の論文を書いた。これは友人の八木秀次氏の仲介で実現した(八木氏は、高崎経済大学助教授で、最近、徳間書店から『論戦布告』という書物を出版した新進気鋭の評論家でもある。本書の帯には「いまどき、かくも剛直で、かくも誠実な若き論士を私は見たことがない」という西部邁氏の賛辞が記されている)。今回、マスコミ界に参戦しようと思い立ったのにはわけがあった。それは、私も四○の坂を越して、これまでを振り返り、これからを考えてのことだった。

四○歳を越えるということは、およそ人生の半分、学者としての研究生活の三分の一を終わったことになる。私これまでの自分の努力を、漠然とではあるが、国家・皇室に貢献できる人間になるための準備の期間と位置づけて来たように思う。けれども、立ち止まって振り返ってみると、準備のできたことは実にわずかのことに過ぎない。そして、時間の流れは、あまりにも早かった。

 私が国家と宗教という分野を専攻領域として選んだのは、この分野が日本の精神を語る上でとりわけ重要なのではないかと考えたからだった。しかし、研究者生活も三分の一を過ぎようとしているのに、確信をもって語ることができるのは、明治期の国家と宗教との関係(それも神社神道を中心とした)だけである。このまま行けばーそして、そうするしか無いのだがー、大正・昭和前期の政教関係をまとめただけで私の研究者生活は終わりとなるだろう。古代・中世はおろか、近世の政教関係さえ研究する時間はないだろう。

 さらに、政教関係の分野は、いくら重要とはいえ、日本の国家・皇室の歴史のほんの一部にすぎない。このままいくと、私は、素志に反して、国家・皇室の本質に取り組むことなく、その極一部に触れただけで一生を終わってしまう。しかし、それそれで、後に続く研究者に確実な基礎を準備したということで、研究者としては満足すべきことなのかもしれない。

それに、このままやっていれば、研究者として、それなりに評価されるという見通しもついた。生活もなんとかやっていけるだろう。それなのに、無理をして、せっかく築き挙げてきた「手堅い実証学者」という評価を傷つけるようなまねをすることもあるまい。そんな、ささやきが聞こえないでもなかった。

しかし、本当に学者として小成するだけでよいのか。それで、本当に、国家・皇室のために働いたと言えるのか。過去からのこうした声も聞こえてきた。それは、私が、大学を卒業して、大学院に行くことを決心した時の「初心」のささやきだった。大学卒業の時に私が悩んだことは「学生時代に考えたこと、言ってきたことを、実現する生き方をするのかどうか。多少の危険を犯しても国のために生きるのか、それとも、思いは思いとして、自分のために安全な道を選ぶのか」ということだった。この問いは、四○歳にして、再び私を訪れた。

 自分に才能があるのかどうかも分からず、自分のやっていることが本当に意義あることであるのかどうかにも確信がもてず、これから生活していくことが出来るかどうかも分からない。勉強をはじめてから、そんな時代がしばらく続いた。幸い皇學館大學に就職できて、生活の見通しだけは立つようになった。しかし、学者としての自信がつき、他の研究者にも認められるにようになったのは、つい最近のことである。

 振り返って見ると、やはり、ここまで来るのは苦しかった。よくやってきたと自分でも思う。だから、もうこのままでいいのではないか、無理することはないのではないか、との思いも強い。他人とも対立したくはないし、自分はやはりかわいい。私が突出すれば迷惑する人も出てくることだろう。

 だから、「このまま、そこそこで」との思いは消えない。しかし、そうなると結局、自分が否定してきた「戦後」に飲み込まれることになる。戦後の唯一の価値が「私利」だったからである。この価値は、苦難の時代よりも、小成の時代にこそ、人を飲み込む力を発揮するようだ。

 だから、このままでは、知らず識らずの内に、「戦後」に飲み込まれていくのではないか。そうならないためには、どうしたらよいか。こう考えた末に「準備が整ってから」とか「機会があれば」とかいう考えを改めることにした。準備は戦いながら整えよう、機会は自分でみつけよう、そう考えることにした。

 この考えから、私は、専門分野、関連領域、対社会活動という三つの戦場をあらためて設定することにした。専門領域では、これまでの実証中心の研究に、大胆な問題提起を加味しようと思っている。

 第一が本土にあたるとすれば、第二の領域はシーレーンということになる。この領域防衛の戦闘に乗り出したのが、立花隆批判だった。この領域へ乗り出したのは、もちろん立花氏の議論がはなはだしく人を惑わせるものであり、ほってはおけないと考えたからではあるが、これまでの私だったら、せいぜい『神社新報』への掲載を考えたくらいで、『正論』に載せようなどとは思いもしなかっただろう。多くの人目に触れることは影響力も大きくなるかわりに、批判される危険も大きくなるからだ。しかも、専門領域ではないのだから思わぬ陥穽がないとは断言できない。

 第三の領域については、松浦光修氏や久保憲一氏と協力しながら、今後、運動を展開して行きたいと考えている。具体的には三重県に根をおろした活動を考えている。当面は、私が「日本会議」、松浦氏が「新しい歴史教科書をつくる会」、久保氏が「世論の会」などと役割分担をしながら運動を進めて行こうと考えている。三重県に根を下ろして、というのは、身近なところほど実は運動を避けたいのが人情であるからである。そして、そこから「安全なところでは真理を語り、危険なところでは隠す」という偽善が生まれ、志が萎えていくことを恐れるからである。

 この三つの領域がそろって初めて、私は初心に反しない所信を保持していることになると思う。専門の領域で「皇学」が、どのように定義されるのかは知らない。ただ、私にとっては、国家・皇室を防衛する学ーそれも、覚悟と行動を伴ったーが「皇学」である。私は先哲や平泉先生の文章に学ぶところ極めて少ない者ではあるが、先人の思いに応える道は、専門の論文で、あるいは日常の行動において、破邪顕正の戦いを実行することであると愚考している。
by nitta_hitoshi | 2006-10-08 11:05 | 雑誌