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新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi

2006年 10月 02日 ( 2 )

(「神社新報」平成18年9月25日)


 神社新報創刊六十周年記念事業として、葦津珍彦著・阪本是丸註『国家神道とは何だったのか』の新版が刊行された。初版からはすでに十九年が経っている。今の日本の出版事情を考えると実に息の長い本である。本書が何故に長寿を保ち、さらに新版まで出されることになったのかと言えば、それは本書の刺激的な内容が学界や宗教界に大きな影響を与え続けてきたからに他ならない。その点については、本書に新たに付加された二人の若き研究者の解題(藤田大誠「『神道人』葦津珍彦と近現代の神社神道」、齊藤智朗「『国家神道とは何だったのか』と国家神道研究史」)に詳しい。したがって、本書の世間的な意味や評価については、両氏の解題を御覧いただくことにして、拙文においては、少し痴がましいが、本書の私にとっての意味について書きたいと思う。

 本書の私にとっての意味は二つある。一つは研究に対する意味である。私が日本の政教関係についての論文を書き始めたのは昭和六十三年のことだが、本書はその前年に出ている。振り返ってみれば、私の研究は、葦津氏が本書の中で提起した図式、解釈、課題にしたがって、それを吟味したり、精密化したり、発展させたりして来たと言っていい。こういう言い方は故人のお気に召さないかもしれないが、葦津珍彦というお釈迦様の掌を飛び回っていた孫悟空のような気がしないでもない。

「神社非宗教論」に対する浄土真宗の影響。「国家神道」の定義。「宗教弾圧」に対する考え方。大正昭和期の民間思想運動への注目。国家管理された神社神道に対する低い評価と在野の神国思想に対する共感。まぼろしの「国家神道」像を占領軍に諂った御用文化人が広めたとの指摘。

 最初の拙著『近代政教関係の基礎的研究』(大明堂、平成九年)は、浄土真宗の動きへの注目などを主軸として、「国家神道」という用語使用の不適切さを様々な角度から論じたものであり、その後の「国家神道」論の系譜の研究は、「国家神道」というまぼろしの形成過程を学説史という観点から追究したものである。さらに、『「現人神」「国家神道」という幻想』(PHP研究所、平成十五年)は、「現人神」という観念の形成過程という視点を加えて、いっそう包括的に、「国家神道」という幻想の発生・発展・定着の過程を論じものだった。

 本書の私にとっての意味の二つ目は、思想や信仰に関するものである。本書において葦津氏は、国家管理時代の神社神道について、「その精神は、全く空白化してしまった無精神な、世俗合理主義で『無気力にして無能』なものであったというのが歴史の真相に近い」と断言している。それなら、世俗合理主義を脱した神道とは何か。本書と同時期の『神国の民の心』には「神懸りの神の啓示によって、一大事を決するのが古神道だった」「神の意思のままに信じ、その信によって大事を決するのが神道ではないか」とある。

他方で、葦津氏のいう神憑りを重んじる信仰は、皇室による国民の精神的統合を否定する地方分散的なものでも、現世利益的なものでもない。むしろ、天皇の国平らかなれ、民安かれの祈りを尚ぶところに神道の本質を見、治国平天下の道を神々の啓示に求める。さらに、「天朝そのものへの信と、天朝の勅書への信とは時として異なることがありうる」と構え、「神典に阿らず、詔勅に阿らず」「師父に対する忠信忠誠によって、師父の言説を修正するすることもあり得る」と覚悟する。科学者と厳正同一の研究手続きを守りつつ、しかし、それが固有する根強い「不信の精神、疑いの精神」とは不断の緊張的対決関係に立つ(「神道教学についての書簡」)。これが内実ある神道者なのだと葦津氏は言う。その言葉は、私が神道や皇室について考えたり、書いたりする時に、いつも眼前にあった。

 ところで、本書の解題を若い研究者が担当したのは、「葦津先生の志や問題意識を継承し、発展させていく意味においても、あえて葦津先生の生前の姿を知らない若手の研究者たちに依頼する方が良い」との阪本是丸氏の考えによるらしい。「筆者にとって最も大事なことだと思われたのは、自らが『日本人』であり『神道人』であると自任しているのならば、現在にまで微かにも残されている『最後の一線』は何としても死守しなければならない、と言うことである」(藤田氏)。「国家神道が廃止された後の神社神道の将来あるべき姿の追求を、これからの神道人が行うべきことを指し示しているのではないだろうか」(齊藤氏)。彼らの解題の末尾に付されたこの言葉を見るとと、阪本氏の意図は十分の生かされたと言えそうだ。葦津氏の霊がこれからも彼らを導かれることを願って筆を擱く。
by nitta_hitoshi | 2006-10-02 20:01 | 書評

県教委と三教組の癒着構造こそ問題


 最近、ようやく、教育改革に熱心な県議や市議とも出会うことができた。冒頭に登場した浜田耕司県議や、津市議会の田矢修介津市議といった方々である。ちなみに田矢市議は二十七歳、日本最年少の市議である。

 十二月十日に私と松浦氏は、三重県の若手県議会議員でつくる超党派の研究会「波動21」の会合に招かれ、教育改革についての話をすることになった。浜田県議は、その下調べのために、わざわざ私と松浦氏とを訪ねてくださり、三時間ほど三重県の現状を話してくださった。田矢市議は、十二月十三日の津市議会一般質問において、国旗の掲揚・国歌の斉唱が厳粛かつ誠実に実行されるように、教育委員会に要望する予定であるという。今後の三重県議会や津市議会の動きから目が離せなくなってきた。

 以上が、[平成十一年]十二月六日現在の三重県の状況である。私たちの仲間には、老若男女さまざまな人々がいるが、いずれも献身的で勇敢な人たちばかりである。そして、名も無き民として縁の下の力持ちに徹することができる克己心の持ち主である。背後にこのような素晴らしき仲間の存在があってはじめて、私や松浦氏の言論活動が可能になっていることを申し上げておきたい。

 最後に、私と松浦氏周辺に関することを少々付け加えておきたい。私たちが所属する皇學館大學(新田は文学部神道学科、松浦は同国史学科)に対して、新田・松浦の活動をそのままにしておくと学生募集・教育実習・教員採用その他の就職に影響するぞ、といった圧力めいた投書が寄せられているという。驚くべきことである。

 確かに、我が皇學館大學は「道義の確立」を学則に掲げる大学であり、私たちは、自分たちの活動は、それに則ったものだと信じている。私たちの活動を支援してくださっている教職員・0Bも少なくない。しかし、だからといって、私たちと大学全体の意思が完全に一致しているわけではなく、まして、大学当局に命ぜられて教育正常化運動を行っているわけではない。そもそも、たかが助教授二人、それが全大学を代表しているなどと考えるのは誇大妄想である。そんな区別もできずに大学を敵視する輩がいるとは情けない。

 それにしても、公務員であり、日頃、人権教育に熱心な公立学校の教師の中に、個人的な好悪によって生徒の進路を意図的にねじ曲げ、出身大学によって学生を差別する者がいるとは信じがたい。まさか、いくらなんでも、そこまで教師は腐っていないだろう、と思いたい。もし実際にそのようなことが行われるとすれば、それは重大かつ悪質な人権侵害である。公務員としては重大な違法行為である。そうなったら、思想の一致云々とは無関係に、我が大学当局は、大学における思想・表現の自由と学生たちの人権を守るために毅然たる対応をとってくれるものと信じている。

もう一つ付け加えれば、私たちが三教組の不正を追及しているのは、憎いからでも、潰そうと思っているからでもない。三重県においては、本来まったく機能を異にする教育委員会と三教組とがベッタリと癒着してしまっている。この癒着構造が温存される限り、いくらまっとうな言論を展開しても、教育現場には決して反映されない。癒着構造こそ三重県の教育を歪めている根本原因なのであり、その癒着を断ち切ろうと努めているにすぎない(三教組の拠点施設である三重県教育文化会館ー全国でも自前のビルを所有しているのは三教組だけらしいのだがー、そこには校長会が入居している)。私たちの願いは、学校と教員をしっかり監督することができる教育委員会、組合員の福利厚生に専念する普通の職員団体、このような正常な状態に戻すことなのである。そういう意味では、私たちの取り組みは三教組正常化運動でもあるのだ。(了)
by nitta_hitoshi | 2006-10-02 07:00 | 雑誌