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新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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「修身」否定の感覚について考える 2

 梅原氏は「教育勅語の精神は結局、天皇を唯一の神として、その神のために死ぬことを根本道徳とし、一切の道徳をこの根本道徳に従属させる精神であった」(『朝日新聞』平成十四年十一月十七日)と言う。しかし、実は、天皇を唯一の神とするなどということは勅語のどこにも書かれていない。歴代天皇と国民の祖先が協力して我国を建設し、維持してきた歴史に誇りを持ち、互いの先祖を敬う心を基礎として、これからも国家の発展のために協力していこう。この明治天皇からの国民への呼びかけが勅語の趣旨である。

 しかも、勅語起草の中心者であった井上毅は、勅語が宗教や哲学的な争いの種にならないように「敬天」「尊神」などの語を避けるように特に注意を払うとともに、君主は国民の思想の自由に干渉できないという近代国家の原則を貫くために、法的拘束力のない天皇の著作として公表するという形式を提案し、採用された。

 そのため、勅語発布後には民間で多くの解説書が刊行されたが、その内容は実に多彩で、神道や儒教の立場からばかりでなく、仏教やキリスト教の立場から「教育勅語」を解説したものまであった。勅語が「天皇を唯一の神」とするものであったとしたら、こんなことは考えられない。

 また、「その神〔天皇〕のために死ぬことを根本道徳とし、一切の道徳をこの根本道徳に従属させる精神であった」というのも根拠がない。「天皇のために死ね」とは勅語のどこを見ても書かれていない。

 勅語には「父母に孝に」からはじまって「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」まで計十五の徳目が列挙されているが、それらすべてを身につけて国家の発展のために尽くすことが期待されているのであって、すべての徳目が「義勇公に奉じ」に従属させられているわけではない。

 それに「義勇公に奉じ」にしても、「非常事態に際しては公のために尽くせ」という意味であって、これを「天皇のために死ね」と解釈するのは極論に近い。それは、自衛隊法第三条第一項を、「要するに、国民のために死ね」という意味だと説明するようなものである。

 どうやら、梅原氏は満州事変(昭和六年)以降の時代状況の中での自らの教育体験から、それがそのまま「教育勅語」の趣旨であり、明治以来の教育であったと思い込んでしまっているようだ。

 勅語の最後の部分に注目していただきたい。そこで明治天皇は、この勅語は「子孫臣民の倶に遵守すべき処」「朕爾臣民と共に拳拳服膺して」と、皇族と天皇御自身が率先して勅語を守ると明言されている。勅語の趣旨が梅原氏のいうようなものであったとすれば、天皇自身が率先垂範するということは、要するに「先ず天皇自身が天皇のために死んでみせる」ということになり、それではまるで「明治天皇の遺書」である。(つづく)
by nitta_hitoshi | 2007-04-02 09:25 | 雑誌