新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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嘘と非常識と論理矛盾ー追悼懇報告書を批判するー

(「神社新報」平成15年2月3日)


 「過去の歴史に学ぶ」などということを実は本気で考えたことの無い人々が書いた文書。自分たちの思い込みを真理だと勘違いしている人々がまとめた作文。それが「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(追悼・平和懇)が昨年十二月に公表した報告書である。

○明白な事実をごまかすいかがわしさ

 この作文はまず、歴史をではなく、現在の明白な事実をごまかすところから筆を起こしている。

「なぜ、今、国立の追悼・平和祈念施設を必要とする時期が来たと考えるのであろうか」との問い、それは“日本をめぐる内外の環境が大きな変革期”にある中で“日本が平和を積極的に求め行動する主体であることを世界に示す好機”だからであり、若い世代に“「平和国家」日本の担い手としての自覚を促す節目”であるからだと答えている。嘘である。

 一昨年八月の小泉首相の靖国神社参拝に対して、中国・韓国から激しい批判が沸き上がり、これに対処するために、内閣官房長官の諮問会議として「追悼・平和懇」が設置されたことは誰でも知っている事実である。「なぜ、今」なのかとの問いに答えるとすれば、この明白な事実を無視することはできない。にもかかわらず、それをごまかすところから筆を起こしているところに、そもそもこの報告書のいかがわしさが滲み出ている。

○祈念は宗教行為ではないと断定する非常識

 この報告書は、国を挙げて「追悼・平和祈念」を行うための「国立の無宗教の恒久的施設」が必要である、と主張している。「追悼・祈念」を行う施設が「無宗教」、すなわち「宗教ではない」というのは奇妙な感覚だが、それは二つの理屈によって正当化されている。

 一つは、「この施設における追悼は、それ自体非常に重いものであるが、平和祈念と不可分一体のものであり、それのみが独立した目的ではない」というものである。つまり、「追悼」は宗教行為だが、「祈念」は宗教行為ではなく、その両者を併せると非宗教行為になるというのである。宗教と非宗教を足すと非宗教になるというのは驚くべき主張だが、それよりも「祈念」を非宗教行為と断定する根拠は何なのだろうか。

 本紙の平成十四年五月二十七日号に「国家が捧げる祈り」と題して、米ワシントン・ナショナル・カテドラルについての記事が掲載されていた。この記事の中で、カテドラル側は「『追悼』は必ずしも宗教や祈り、あるいは精神性に基づく必要はありませんが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」と主張していた。「追悼・平和懇」の報告書とは正反対の見解である。

 このような見解のあることを無視して、「何人もわだかまりなく」追悼・祈念できる施設を創ろうというのだからお笑いである。

○歴史に学ぶ姿勢の欠如

 ところで、戦前の日本人の国民道徳の支柱をなした「教育勅語」は、特定の哲学や宗教に偏らないことを旨として起草され、当時の多くの国民から支持された。それにもかかわらず、今日では、この勅語を特定の思想や宗教に偏ったものであったと主張する論者が跡を絶たない。ある時代に圧倒的に国民に支持されていた教育勅語についてさえ、時が経てば異論百出の有様である。

 まして、現在ただ今の時点でさえ国内に多くの異論が存在し、必ずしも外国の感覚とも合致していない施設を「非宗教」だと強弁して政府に建設させようなどというのは、全く歴史に学んでいないとしかいいようがない。

○姑息な言い逃れによる論理矛盾

 報告書が「追悼・祈念施設」を宗教施設ではないとするもう一つの理由は「死没者一般がその対象になり得るというにとどまり、それ以上に具体的な個々の人間が追悼の対象に含まれているか否かを問う性格のものではない」というものである。

 追悼・祈念の対象が“具体的でない”、つまり“曖昧だから”宗教施設ではないというのもへんてこな理屈だ。

 しかしもっと問題なのは、この文章の直前で「日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもない」と書かれていることである。

 特定の理由によって追悼対象とならない人々の存在を認めるならば、誰がそれに当たるのか、当たらないのか、それこそ具体的に個々の人間を特定しなければならない。「対象に含まれているか否かを問う性格のものではない」などとは言えたものではない。

 要するに、このように単純な論理矛盾に気付かないほどに、この報告書は、追悼対象者に対する誠意に欠けているということなのだろう。
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by nitta_hitoshi | 2007-03-28 11:49 | 新聞