新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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父祖虐待史観(平成12年3月初旬)

[平成12年2月21日、三重県教育委委員会は、公立学校の教員による勤務時間中の不正な組合活動の実態調査の結果を公表した。その結果は、過去三年間だけで、不正な勤務をしていた教職員が全教職員の三分の一にのぼり、延べ人数にすると32,064人、不正な勤務の延べ時間数は、679,422時間にも及んでいた。この調査結果を受けて、三重県教委は不正な組合活動をしていた教職員に対して、その時間分の給与の返還を求める意思を表明した。本稿は、その直後の三重県議会を傍聴して記したものである。]


 [平成12年]三月初旬に開催された三重県議会では、三教組に好意的な県議から、「三重県の教育にもよいところがあったのではないか、よいところにも目をむけよう」「三重の教育に自信を持つべきだ」といった発言が出始めたという。『中日新聞』は、これを捉えて「三教組批判に“反撃”」なる見出しをつけている。実に面白い。三教組に対する批判が始まってからまだ半年しかたっていない。それにもかかわらず、批判に耐えかねて「いいところにも目を」「後ろ向きではだめ」等の意見が出始めたのである。ここには、人間が如何に自分の「主張」を生きることができないか、が示されている。

 自分の犯した過ちは素直に認めて反省しよう。悪い部分を見つめつづけて、そこから正しい人間になろう。これが日教組の教育観・歴史観ではなかったか。そして悪の追及や謝罪や反省ばかりの教育に対して、「いいところもあったのでは」などと異論を唱えようものなら、「美化してはならない」と批判してきたのではなかったか。この見方からすれば、いま三重県教育界に現れつつある主張は「三教組美化史観」と非難さるべきものである。

誤解しないで頂きたい。私は三教組関係者の言葉尻を捉え、その矛盾を突き、やりこめて楽しもうとしているのではない。批判にさらされた人間がどういう言動にでるものなのかをじっくり観察して、今後の教育の参考にしていただきたいと思っているのである。真に自分に向けられた批判、それも長期にたわる批判に人間はたえられない。「いいところにも目を向けてくれ」との叫びが必ず内面から生まれてくる。そういうものなのだ。

 だから、長期にわたる自虐的歴史教育の中からもう「いい加減してくれ」という声があがるのも当然である。しかし、ここで私が言いたいのはそう言うことではない。私が問題にしたいのは、むしろ、多くの教師がいまだに自虐教育を平然とおこない、何ら苦痛を感じていないということの異常さについてである。それが真に自虐教育、即ち自分自身を打ちのめす教育であるならば、教師にしろ、生徒にしろ、そんなものに人間が長く耐えられるはずがない。

 ならば、それは実は「自虐」ではなかったのではないか。「他人事」、つまり「他者虐待」だったのではないか。自分を歴史の外において、単に他人を責めていただけだったから、何の苦痛も感じなかったのではないか。自分は傷つかず、他人を責めることによって、自分が如何に「いい人」であるかを述べ立てる。しかもその他人とは自分の父祖達なのである。人権も、自由も、何もかも、すべての今日的価値をおおう「嘘臭さ」。「みんな本気じゃないんだよ」とちゃんとどこかで分かっている。そんな道徳腐敗の根源はここにある。この欺瞞に満ちた歴史教育を何と命名したらよいだろう。「父祖虐待史観」というのはどうだろうか。

それはともかく、三重県の教育関係者に繰り返して言いたい。今、あなた方に必要なのは自己弁護の言葉ではない。正面から批判を受けとめ、そのとき自分の内面から聞こえてくる声に耳を傾けること。自らが行ってきた教育と今の体験とを重ね合わせ、目を背けずに凝視して、そこから再出発すること。三重の教育の再生への道はそこからしか始まらないのだ、と。
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by nitta_hitoshi | 2007-01-12 21:42 | 不掲載・未発表