新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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日本の歴史を決定づけた神話と伝承(『祖国と青年』平成12年11月号)

 『日本書紀』正文の記事にしたがって、日本の国土の誕生から神武天皇の即位にいたる神話伝承の粗筋を述べれば以下のようである。

一、まず天と地が分かれ、クニノトコタチノ尊からイザナギノ尊・イザナミノ尊まで、神代七世と言われる神々が誕生する。次ぎに、イザナギノ尊・イザナミノ尊が日本列島の島々と木の神や草の神をお生みになる。

二、イザナギ・イザナミの二神は日本の国を治める者を生もうとされるが失敗する。最初に生まれたアマテラス大神と、次ぎに生まれたツクヨミノ尊は素晴らしすぎて「天上」の支配者となり、次ぎに生まれた蛭児は脚が立たなかったために放棄され、次ぎに生まれたスサノオノ尊は乱暴すぎて「根国」へ追われる。

三、スサノオノ尊が高天原にやってきて、アマテラス大神と誓約(うけい)をされたことによって、オシホミミノ尊が生まれ皇統が開かれた。ところが、その後のスサノオノ尊の乱暴によって、高天原は混乱に陥り、アマテラス大神は天石窟に隠れてしまう。しかし、様々な神々の活躍によって、アマテラス大神は再び天石窟から出現し、天上の秩序が回復される。

四、高天原の秩序が整って後、オシホミミノ尊とタクハタチヂ姫(タカミムスビノ尊の娘)との間にニニギノ尊が誕生し、統治者として地上に降されることになる。しかし、地上のには邪神が横行していたために、まず臣下の神々が平定のために使わされ、何回かの失敗の後に、ようやくオオナムチノ神(大国主神)の国譲りによって、ニニギノ尊の天孫降臨が実現する。

 五、ニニギノ尊が日向の高千穂峰に降臨して後、その子のヒコホホデミノ尊、またその子のウガヤフキアヘズノ尊と、三代にわたって日向の地を治められる。そして、またその子のカンヤマトイワレビコノ尊(神武天皇)の代になって、日本の統治を命ぜられたタカミムスビノ尊とアマテラス大神のご命令に応えるために、日本の中心地へ進出することを決意し、様々な困難を克服して大和を平定し、都を築き、第一代の天皇として即位される。

 シナの歴史書と違い、日本の『古事記』『日本書紀』は、以上のような神話伝承を冒頭においている。このことの意義は何だろう。
 『日韓併合への道』(文春新書)の中で呉善花さんは、朝鮮近代化の遅れを決定的なものにした要因として、自分の一族(宗族)の繁栄だけを願う「外戚勢道政治」の横行を挙げ、「自分の属す宗族の繁栄に尽くすことこそが最大の徳目、祖先への孝だったからである」と書いている。つまり、朝鮮においては、祖先への孝は国家(あるいは王室)への忠とはつながっておらず、極論すれば、一族の繁栄のために国家(あるいは王室)を犠牲にしたとしても、それは祖先に対する不孝にはならない、ということであったようだ。この文を読んで私は、神話伝承を歴史記述の冒頭においた古代日本人の英知とその恩恵の深さとに思いを致さないわけにはいかなかった。

日本の神話伝承の基本構造を一言で言えば、それは「忠孝一致」ということになる。神話には様々な神々が、伝承には様々な豪族が登場するが、色々な出来事を経て、結局、天上には天照大神を中心とする秩序が整い、地上にはその反映として、天皇を中心とした秩序が整うという物語になっている。その際、神々や豪族は天皇の臣下、協力者、帰順者として描かれている。このような先祖物語を尊重し、継承してきたことの意義は大きい。すでに先祖が天皇を中心とした物語の秩序に組み込まれてしまっている以上、どの豪族にとっても、自分の一族の利益さえ追求すればそれだけで先祖に孝を尽くしたことなる、とは言えない構造が出来上がってしまったていたからである。

 たとえば、藤原氏の先祖である天児屋命は、天照大神が天石窟に隠れられた時には、天石窟の前でその御出現を祈り、天孫降臨の際には、高皇産霊尊からは皇孫のための祭祀を、天照大神からは神鏡の防護を、それぞれ命じられている。したがって、藤原氏にとって、一族の繁栄のみを追求して、国家皇室の繁栄を無視するなどということは、決して先祖に対する「孝」とはなり得なかった。古代においては一族というのは最も強力な私的関係であったと思われるが、それをも超える価値として、天皇を中心とした公的秩序を描き出すことにより日本神話は歴史に重大な影響を与えることになったのだと、私は考えている。
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by nitta_hitoshi | 2007-01-07 11:05 | 歴史随想