新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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語るに落ちた勝田吉太郎氏ー「大学の名誉のために一言」を吟味するー(4)

(平成12年5月中旬稿)


《久保教授の解任はどのような手続きで進められたのか》

久保教授の発言に関しての鈴鹿国際大学の対応について、勝田氏は次のように説明している。
 まず勝田氏は二回にわたって久保教授の言い分を聞いた後、「昨年十二月中旬に急いで『教員適格性審査委員会』を発足させ、そこに同僚たち全員に深く敬愛されている教授たちに入って頂き、長時間にわたって議論をつくした」。「そのあと、十二月二十二日に臨時教授会が開かれ、長時間にわたってさまざまな角度から審議された」。そして「残念ながら『教員として不適格である』という委員会の判定は、教授会でも承認された」という。

 この説明を読む限り、大学の自治の原則にのっとって教授会の意思が決定され、まっとうな手続きをへて、久保教授は「教員として不適格」と認定されたように見える。ところが、この弁明は、重要な事実をいくつも伏せることによって、そのように見せかけているにすぎない。以下、「三重タイムズ」の報道と久保教授の証言に基づいて、ことの経過を時間にそって再構成してみよう。

久保教授は一昨年[平成10年]の夏に、映画「プライド」を見るように学生たちに勧めた。昨年[平成11年]の八月十二日、久保教授らは「人権センター」を訪れ、展示内容の是正を要望した。同年八月二十日付の「三重タイムズ」は、このとき久保教授が「人権センターになっていない。実態は同和解放センターだ。もっと人権全般についての啓発をしてほしい」「戦争の扱いが偏向している。蔵書や展示に日本軍や日本人の加害ばかりが目立つ。日本人が受けた被害についてまったく触れられていない。戦争は最大の人権侵害であり、一方が絶対正しく、一方が悪いというものではない。事実は事実としてバランスの取れた啓発をしてほしい」と発言したと報じている。なお、このときの久保教授らの要望に対して、人権センターの馬場佐所長は「人権センターは誕生してまだ三年目だ。これまでの長い同和行政の流れがある。そのため同和関係の図書やビデオなどが多い。今後、内容を整理するなかで検討したい」「戦争についての蔵書やビデオなどは、バランスの取れた内容にするよう努力している。展示についても公正なものにするよう配慮したい」と答えている。

 この時点では人権センターについての発言も、「プライド」鑑賞の勧めも問題視されることなく、久保氏は、教授会の承認を得て、昨年[平成11年]十月一日に助教授から教授に昇格した。ところが、同年十一月五日付の「三重タイムズ」紙上で、久保教授が、編集長のインタビューに答える形で、再び人権センターについて「想像以上にひどいものでした。人権センターといってもほとんどが部落問題で占められている。あとの二割ほどが反日、自虐史ですね。どういう子どもや日本人を育てようとしているのかと疑問に感じるような施設です。このセンターで真面目に勉強する子どもがいたら、将来が本当に心配になります。このような施設を公費で建設したこと自体疑問ですね」と発言すると、鈴鹿国際大学側は、途端にこの発言を問題視しはじめた。

 まず、勝田学長が、十一月二十九日に久保教授を呼び出して、おおむね次のように責めたという。
「この間の君の新聞、ざっと読んだだけだが、大変なことをしてくれたね。問題になっているのだよ。君、部落問題は本当に怖いのだよ。彼らが大学に押しかけてきたらどうするのかね。その時は君に責任をとってもらうしかない。君が彼らに頭を床に擦り付けて、まず謝りに行き云々」
「私は表に出ることはできないからね。私が出るということは大学の問題になりかねない。もし君が助けを求めるなら、共産党に助けを求めなければならない。そのようなことは君も嫌だろう?」
「ただ大学に迷惑がかからないよう、君は責任とらなければいけないよ」(久保教授の手記より。以下の引用もおなじ)。

次いで、十一月三十日に、久保教授は大学の事務局幹部から次のように言われている。「三重県同和課の○○課長(名は忘れたがどうも女性のようである)から先生の件で問い合わせがあり、私は慌てて、シラバス・調査書などの書類を持っていった。人権センターの記事は、私の見る限り、同和問題ですよ」と。

 さらに、十二月三日にも、久保教授は、大学当局者数名から次ぎのような話しを聞かされている。「この日曜日(十一月二十八日)にたまたま三教組の役員とあった。そして久保先生のことを聞かれた。久保先生の新聞記事は全国で最も強い三教組に戦いを挑んでいることになる。また久保先生の場合、とくに三重県人権センターの『八割が同和問題の展示である』という内容の記事に問題があるが、学長もそれに激しく怒っている。理事長も同意見なので、久保先生は辞表を提出してもらいたい」
「大学がつぶれたら困る。学長が決断されたのだから学長を傷つけないでほしい」
「学長に晩節を全うさせてあげてください」。

 十二月八日、再び久保教授は勝田学長に呼びつけられ、この時も辞職を勧告されたという。久保教授は「この時の会話もテープで記録したが、内容があまりに醜悪で、大学の存亡にかかわる可能性もあり、公表を差し控えている」のだそうだ。しかし、「本裁判となれば、不本意ではあるが裁判資料として提出せざるを得なくなるだろう」とのことだ。

 この後、久保教授の「教員適格性審査委員会」なるものが組織されたようだが、このことは久保教授に知らされることも、教授会に諮られることもなく、学長の独断でおこなわれたらしい。この委員会は久保教授から直接事情を聞くこともしなかった。この委員会の結論が提起された十二月二十二日の臨時教授会の開催は久保教授には知らされず、完全な欠席裁判であった。このような大学当局のやり方に反発した教授が六、七名ほどいたため、この日の教授会では「久保教授解任」の承認にはいたらず、単に「委員会からの報告を聞いた」というに止まったという。

年が改まった平成十二年一月十一日、久保教授は、授業を休講にして名古屋にある享栄学園本部に出頭するように命じられ、ここで理事長ら数名から事情聴取を受けている。この時から「講義内容、卒業アルバム、映画『プライド』鑑賞などの質問も新たに加わった」という。そして「明日からトラブルを避けるため、講義・教授会などに出ることを暫く自粛せよ」と命じらたそうだ。

 そして、一月十七日、再び学園本部に呼び出され、戒告書と事務職員への降格の辞令を渡された。この理由について、戒告書には、次のように記されていた。「平成十一年十一月五日付けの『三重タイムズ』誌上(マヽ)での鈴鹿国際大学教授の肩書において行った発言、これまでの講義方法等(東条英機に関する映画の鑑賞を強要するかのような指導等)及び公的機関である三重県人権センターに対する誹謗ともとられかねない発言などは、当学園の名誉と品位を害し、当学園の生徒・学生の募集に悪影響を及ぼし、その他関係機関との信頼関係を著しく失墜させるものであって、当学園の職員としてふさわしくない言動であった」。(つづく)
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by nitta_hitoshi | 2006-10-19 10:01 | 不掲載・未発表