新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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研究旅行のエピソード 

(平成11年)


 私が勤務する皇學館大學では、三年生の秋に研究旅行というものを実施しております。日頃学んでいることにちなんだ地域に出かけて実地見学を行うことを目的としたものです。今日は、その中でのエピソードを紹介しようと思います。

 私のゼミは、今年[平成11年]、松浦光修先生のゼミと合同で、九州地方へ出かけました。知覧と田原坂をメインとするコースです。いうまでもなく、知覧は大東亜戦争末期に特攻基地がおかれたところ、田原坂は西南の役の激戦地です。大東亜戦争と明治維新という険しい坂を日本が越える時に、命を捧げて下さった先人たちを偲ぶことが目的でした。

 ところが、この旅行は最初にトラブルに見舞われました。名古屋空港で、私たちの前に飛ぶはずだった飛行機が故障し、急遽、私たちが乗るはずだった飛行機を先に飛ばし、私たちは修理した飛行機に乗せられることになってしまったのです。修理を待っている間に、背中に「南無阿弥陀仏」と書いた白装束の人々が目の前を通り過ぎていったりして、何とも不安な気持ちでした。そして、やっと搭乗のアナウンスがあって乗り込んでみると、結局、修理出来なかったので超低空で飛ぶことにしたという説明です(操縦席のフロントガラスのヒーターが故障して霜取りができなくなったとのこと)。

新田「こんな気持ちを味わわされたんだから、着陸したらお詫びのしるしに何かくれてもいいよね」
松浦「何がいいと思う」
新田「そりゃ九州だから明太子でしょう。御免タイって言いながら配るべきだよ」
とはいうものの、超低空飛行のお陰で瀬戸内海の景色を満喫することができました。

さて、初日に訪れた知覧では、松浦ゼミの女子学生が目にハンカチを当てながら、若い特攻隊員の遺書をじっと読んでいる姿が印象的でした。日頃無礼極まりない我がゼミの学生たちも神妙な面もちで見学していました。同世代ということで、ひときわ胸に迫るものがあったようです。

 田原坂を訪れたのは三日目でした。里見浩太郎主演『田原坂』前編を事前に見せておいたため、つかみはOK。学生たちの関心は高く、見学時間が短かったという不満が聞かれるほどでした(『田原坂』後編は帰ってから見ました。鑑賞した全員が泣きました。もちろん私も松浦氏も)。

 この日の夜は旅行最終日ということで宴会を兼ねた夕食ということになりました。宴も終わりに近づいた頃、トイレに立った学生が「先生、近くで朝日新聞が宴会をやってます」と言いながら戻ってきました。すると一人の学生がすっくと立ち上がって「僕、カラオケを歌います。パール判事に捧げる『ガンダーラ』!」と叫びました。さらに、この学生は歌い終わると「東京裁判は不当だぁ!」と雄叫びをあげたのです。

新田「じゃ、そろそろシメようか。どうやってシメる」
学生たち「そりゃ、やっぱり、なんといっても、時と場所を考えれば、国歌斉唱と聖寿万歳しかないでしょう」
松浦「よ~し、窓と扉を全部開けはなてぇ~」
こうして学生たちと国歌を二回斉唱し、松浦氏の先導で「天皇陛下万歳」を三唱しました。

「あ~気持ちよかぁ」と言いながら、みんなで朝日の宴会場の前を通りかかると、さっきまでは開かれていたという宴会場入り口の扉がピシャリと閉められていました。若者達が歌う「国歌」はとても耐え難いものだったのだろうと推測します。
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by nitta_hitoshi | 2006-10-09 22:40 | 不掲載・未発表