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新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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孝明天皇の御存在と皇位の意義

(『祖国と青年』平成11年12月号)


明治維新が多くの志士達の活躍によって成就したものであることを知る人は多い。けれども、それでは孝明天皇はどのようや役割をはたされたのか、と聞かれて即座に答えられる人はそう多くないのではあるまいか。むしろ、孝明天皇は幕府を支持され、討幕運動にとってはむしろ障害であった、となんとなく考えている人が大部分なのではあるまいか。

 このような認識の誤りを正すために、孝明天皇を中心に据えた「歴史体験セミナー」がこれまで二回開かれた。一つは、平成三年十一月に石清水八幡宮を会場として開催された「孝明天皇と明治維新」と題するセミナーであり、もう一つが本年十月に同じく石清水八幡宮で開催された「孝明天皇の祈りと明治の新しい国づくり」と題するセミナーである。
 この二回のセミナーを通じて確認された、幕末における孝明天皇の御存在の意義をまとめてみると次のようになるであろう。

 ①.本来、武力によって日本を守ることを使命とする幕府が、断固たる意思を欠いて状況判断に流され、ひたすら戦いを避けるために、妥協に次ぐ妥協(日米和親条約・日米通商航海条約)を繰り返していった時に、「邪悪なものは打ち払うべし」、すなわち「守るべきものを守るためには“戦い”も辞さず」というお立場から、この状態に待ったをかけられた。
②.この孝明天皇の御姿勢が心有る人々を感激させ、彼らに行動の拠り所を与えた。さらに言えば、明治維新、日清・日露戦争、大東亜戦争の底を流れる抵抗精神に正当性と現実的な根拠が与えられた。
③.ひたすら天下の安泰と国家の統合を願われる天皇の御姿勢が、立場の違いを越えて、憂国の士を励まし、彼らをまとめあげた。

 以上は、「孝明天皇」という具体的な御存在が果たされた役割だが、それと同等、あるいはそれ以上に大切なこととして考えておかなければならないことは、天皇という御存在そのものの幕末における意義である。
 それを理解するためには、明治維新とは何だったのか、ということを明らかにしなければならない。もちろん、明治維新の意味はいろいろに論じられようが、最大の意義の一つは「国民を生み出した」ということである。「国民」とは、地域や身分の違いを越えて、あるいは解消して、自分たちを仲間だと感じ、自分たちが国を支えているという自覚をもった人々の集団のことである。

 欧米列強の脅威に対抗するためには、「国民」の存在が是非とも必要であったが、幕藩体制下の日本においては、そのような「国民意識」はごく一部の人々がもっていたにすぎなかった。多くの人々は藩を「国」と感じ、身分に応じて自分たちの義務が異なることを当然だと考えていた。

 このような状態であっても、幕府が対外的に強力であれば問題はなかった。しかし、幕府一人では日本を守り切れないとなれば、まして、日本全体の国力が欧米に比べて圧倒的に劣っているとなれば、話しは別である。日本に住む総ての人々が「国民の自覚」を持ってくれなければ国の独立は保てない。

封建制度の下で、三百年近くも、地域ごとに、身分ごとにバラバラにされていた人々。このような人々に、自分たちはすべて仲間なのだ、日本という共同体に対して責任があるのだと感じさせられるものは何か、また誰なのか。幕末における諸政策の対立や、諸勢力の対決は、この問いを実に深刻で本質的なものして、当時の憂国の士たちにつきつけた。

 その答えこそ天皇であった。古代統一国家「日本」の歴史的な記憶を、皇位の継続によって現在に伝え、蘇らせる可能性をもった存在は、天皇以外にはなかった。今日では、天皇の存在にあまり肯定的でない研究者でも次のように述べるまでになっている。
「明治維新の政治家・官僚にとって、天皇は国権確立の手段だったとはいえ、それは選択の余地のない唯一無二の手段であった。」(鈴木正幸『皇室制度』岩波新書、一四頁)

 最後に一言付け加えるなら、今日の海外における民族対立による地域紛争の激化は、国民意識の重要性が決して過去のものではないことを我々に教えている。
by nitta_hitoshi | 2006-10-03 19:30 | 歴史随想