新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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教育改革は各自の内省から(「神社新報」平成11年11月15日)

 十一月一日発売の『正論』十二月号に「広島よりひどい“日教組王国”の惨状」という強烈なタイトルの論文が掲載された。中を開いてみると、さらに「勤評『オールB』、『不正出張』は当たり前。反日・自虐教育もやり放題」との辛辣な文句が踊っている。筆者は、皇學館大學助教授・松浦光修氏。そして、松浦氏が語っているのは、我が皇學館大學が存在する三重県の公教育の惨状である。

ここでその概要を簡単に要約すれば、次のようなものである。まず、「オールB・開示」。職業には業績評価がつきものであるが、教員にあっても学校長がそれをつけることになっている。いわゆる「勤務評定書」である。ところが、これが、三重県教職員組合(以下、「三教組」)による闘争の成果として、三重県においてはその記入がすべて「B」に統一され、しかも、校長が間違いなく「B」をつけていることを教員が確かめられるように、各教員に開示されているというのである。教師が生徒の監視の下ですべての生徒に同じ成績をつけている有り様を想像していただければ、その異常さはすぐにご理解いただけよう(この問題は、十月三十一日の産経新聞大阪版に一面トップで取り上げられた)。

次に「不正出張は当たり前」であるが、これは「三重県内の公立学校では、各地域の学校の『持ち回り』や『推薦』で三教組の『執行委員』が選出されるが、選出された委員は、年度当初から午前中の授業しか組まれない。『執行委員』は、・・・基本的には午後は、その地域の組合支部で、三教組関係の仕事に忙殺されている。つまり組合活動が、学校の授業計画よりも優先されている」というのである。公共団体ではない教職員組合の活動は、基本的に、個人的な趣味の活動と変わらない。趣味を持つことはもちろん個人の自由であるが、それを「正規の勤務時間中」に行い、その上さらに「正規の給与」が支払われているとなれば話は別である。しかも、生徒の学力低下が全国的な問題となっているにもかかわらず、である。

 最後に「反日・自虐教育もやり放題」であるが、三重県下のある中学校では、「人権学習」の時間に、近代における日本と朝鮮との関係を題材として、「日本人に内在する残虐性」を生徒に印象づけるために、「細かい歴史的事実の相関関係よりも、日本が自国の利益のためにアジア、とりわけ朝鮮の人々に甚大な犠牲を強いたその身勝手さ、酷さが伝わればよい」という趣旨の授業が、実際に行われているというのである。まさしく「惨状」というほかないが、これ以上の詳しい実態については松浦論文を読んでいただきたい。
 ところで、この論文を読んで私が即座に思い出したのは、以前に本紙上で松浦氏が、『正論』七月号の「全国高校教育偏向度マップ」に対応して書かれた「無惨やな神の御もとの教育界」(本紙六月二十八日)の中の次の一節である。

 「三重県の教育界の現状をつきつけられたとき、『そのことは、わが大学とはまったく関係がない』などとは、さすがにチョット言えない気がするからである。なんとも複雑な心境であるが、あくまでも力が足りなかったという意味において、その責任の一端がわが大学にもあることは、残念ながら、ある程度は認めなければなるまい。ふつう、私のような立場の者の場合、そういう報道や言論に対しては、放置しておけばよいのかもしれない。それは自己の不名誉にこそつながれ、けっして名誉にはならない内容であるし、そんなものを、あらためて紹介してみたところで、いったい何になるのか、というようなお叱りも、各方面から受けそうである。しかし私は、最近つくづく思う。自己の直面する大きな問題には見て見ぬふりをし、他人ごとの問題ならば安心して議論する、そんな空気が三重県の教育界のみならず、じつはさまざまな局面で、いまの日本の諸状況を、どんどん腐食させていっている大きな原因の一つなのではないか、と。」

 「松浦さんは、自らの批判を自分自身で受けとめて、自らの言葉を生きようとされているんだな」。これが私の率直な感慨であった。
 そして、「皇學館も教員養成を行っているはずだ。こんな日教組批判を書いて大丈夫なのか」との声が聞こえてきそうだな、とも思った。もちろん、松浦氏もそのことは予想されたであろう。しかし、その心配を抑えて、敢えてこのような論文を書かれた心情を推測すれば、「“本音と建て前を使い分けて巧みに生きていきたい”という強烈な自己保身本能との対決を避けて“皇国の道義”を講じても虚しい」ということではなかったかと思う。

ここで、読者にお考えいただきたいのは、これはひとり教員養成機関だけが抱える問題ではなく、神社界にもかかわる問題であるということである。神社界は平成十一年度から十三年度の「教化実践目標」の一つとして「国旗・国歌の一層の定着化に向けた啓発活動につとめる」ことを掲げている。この目標を真に実現しようとすればどのようなことが予想されるであろうか。個々の神社の中には、氏子の中に教員が多かったり、日教組の幹部が含まれているところもあるであろう。このようなお社にあっては、多様な価値観を有する氏子をまとめつつ、しかも教化実践目標に応えるというのは、実に困難なことであろうと思われる。

 この難問を解決する巧いやり方は思い浮かばない。ただ、私に言えることは、今まさに盛り上がろうとしている教育正常化の運動が真に実を結ぶためには、関係者一人一人が、その困難さから目を背けることなく、自分が本当に守らなければならないものは最終的に何なのかを見定め、深い内省の中で自らの出処進退を定めて行く以外にはないであろうということだけである。
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by nitta_hitoshi | 2006-09-25 14:20 | 新聞