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by nitta_hitoshi
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小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(132)

◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんは『サピオ』平成11月10日号で58頁で「飯豊皇女(いいとよのひめみこ)」について書いていますが、意味不明というよりも、自説否定以外のなにものでもありません。

 彼は「両書[『古事記』『日本書紀』]とも正式に即位したとは書いていないが、天皇の臨時代理を務めたことは間違いなく、後世の史書『扶桑略記』『本朝皇胤紹運録』では飯豊皇女を天皇として扱っている。後の推古女帝が登場する下地はここで作られていたと言えよう」(同58頁)と書いています。

 つまり、飯豊皇女は「天皇の臨時代理」つまり「中継ぎ」で、それが推古天皇登場の「下地」だったというのです。

 ところが、彼は1号前の『サピオ』(10月20日号)で「偉大なる女帝歴史」を書き、「中継ぎ」論を躍起になって否定していました。

 たしかに、秘書が指摘しているように「自分の書いたことも忘れる」というのは本当で、さらに「即座に」という形容動詞を付け加える必要がありそうです。

 ちなみに、『サピオ』10月20日号の「偉大なる女帝歴史」は、「中継ぎ」という意味を、皇位継承の原則から見ての評価から、天皇の業績から見ての評価へとすり替えて「中継ぎ」論を否定するというペテンの構図で描かれています。皇位継承の原則から見ての「中継ぎ」説が「歴史研究の上ではすでに否定されている」(同55頁)などという事実はありません。

 さらに言うと、彼が『サピオ』平成11月10日号で言及した『本朝皇胤紹運録』では、オシホミミノ尊について「素戔嗚尊第一子、天照大神立誓約以為子」と書かれています。オシホミミノ尊は素戔嗚尊が生んだ子供であったが、天照大神が誓約にしたがって自分の子供にしたというのです。高森説の根拠はこれかもしれません。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年7月14日号で、「旧譜皇統譜」を持ち出して「明治天皇の勅裁によるものであり、学者・評論家の議論の余地などない」(62頁)として、天照大神が女性だから皇統は元々女系だと言えるという自説を強要しようとしたのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
by nitta_hitoshi | 2010-11-24 06:12 | 小林よしのりさん批判