新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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今、西郷隆盛について学ぶ意義(『祖国と青年』平成16年2月号)

 今日の私達はかなり単純で、軽薄な価値観や歴史認識に取り巻かれている。その一つは「成功することがこの世での最高の価値である」というものだ。これをしゃれた言葉で言えば「アメリカン・ドリーム」ということになろうか。この価値観は、一旦、失敗したり、挫折したりすると、容易に「自己否定」「自虐史観」に変わってしまう性質をもっている。要するに、「結局は失敗したんだから、すべては無駄だった、間違いだった」と。

 西郷隆盛は、つい最近まで、多くの日本人の心を捉えてきた人物なのだが、「成功が全て」という価値観に立つと、その人気の理由が理解できない。たしかに、大まかに見れば、前半生は「大成功」だったとも言えるが、後半生、特に最後は悲劇である。だから、「成功が全て」という価値観では、西郷さんに対する根強い人気の秘密は分からない。

 しかし、少し立ち止まって考えてみると、私達の先祖は「善か、悪か」「成功か、失敗か」「有効か、無効か」「有意義か、無意義か」という単純な二者択一の発想ではない、もっと深い人間観・人生観を大切にしてきていたように思う。苦難を背負い、それに耐えた人々の、「大いなる悲劇に対する共感」とでもいったらいいだろうか。

 先祖たちが好んだ我が国の英雄を思い出してみていただきたい。スサノオノミコト、ヤマトタケルノミコト、源義経、楠木正成、赤穂浪士。みんな成功と挫折、喜びと苦難を背負って生きた人物ばかりである。これらの英雄達は、人間のもつ偉大さと愚かさ、力づよさと無力さ、人生のすばらしさとむなしさを見せてくれる。まるで、人生の重苦しさや複雑さに直面できるだけの強い精神力を、歴史を学ぶ者達に要求するしているかのように。

 私は、今日の人生観や歴史観の欠点は、過去の日本人たちの人生や歴史を、まるで犯罪者の歴史ででもあるかのように描くばかりでなく、彼らの生き方を矮小化し、浅ましくて、卑しい小人たちのように描いてしまっていることにもあると思っている。しかし、実は、それは、歴史を見る側の人間の、その人自身のくだらなさや愚かしさを、過去の人物に投影しているだけにすぎない。

 自分たちの小ささやくだらなさを少し脇にどけて、素直に歴史を眺めてみるならば、我が国の歴史に登場する人物達の中には、完璧な聖人ではなかったにしろ、十分に驚くに値する巨大な人々が沢山いる。その中でも、とくに際だっているのが、西郷隆盛だと私は思っている。

 かつて皇后陛下は、読書について講演された際に「読書から人生の複雑さに耐えることを学んだ」とおっしゃった。私達も西郷さんの生き方を知ることによって、「人生の複雑さに耐える力を学べる」のではあるまいか。

西郷隆盛の一生を貫いている生き方を要約すると、“「大義名分」を重んじ、それを実現するためのには、戦いも辞さないという覚悟を固め、その上で、自分自身の面子や命にはこだわらず、捨て身で相手を説得して、戦わずして勝つことを最上とする”ということだったように思う。そして、そのようなすさまじい生き方を可能にしたのは、西郷さんに次々と襲いかかった、様々な試練だった。その試練の火の中から、西郷隆盛という豪傑の人格が磨き出されていった。

 ひるがえって、今日の私達の生き方はどうだろうか。大義名分、道徳的な正しさなどは、二の次、三の次で、まずは「戦わないことが最も大切」で、とにかく他人と対立しないことだけを心がけ、場合によって、どんな不道徳が行われていても、自己保身のために我慢する。そんな情けない生き方が、「平和主義」という美名のもとで正当化されてはいないだろうか。

 今日、日本をめぐる国際情勢は、幕末ほどではないにしろ、危うさや複雑さを増しつつある。その中で、私達はどう生きていったらいいのか。とても西郷さんの生き方をまねることなどできそうにもないが、せめて、西郷さんだっから、どう考え、行動するだろうか。それを想像することくらいはできるように、その思想と行動を学んでみることは、今の私達にとって、かなり意義のあることだと思う。
 
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by nitta_hitoshi | 2010-02-01 11:57 | 歴史随想