新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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高森さんの敗北宣言?脱歴史学者宣言?(3)

高森さんは「ゴー宣言ネット道場」の5月19日づけの「ネット男系派の自爆」で次のようにも言っています。

「私は、男系限定の論拠になって来たシナ男系主義に由来する「姓」は、既に過去のものになった―として根拠に明治4年の太政官布告を挙げている。これに対し、その布告は国民を対象にしたもので、皇室には無関係、と騒いでいるそうな。「は?」と思わずのけ反ってしまう。このことを私に伝えてくれた人も、苦笑していた。
彼曰く、「もともと、皇室には姓がない。だから、姓を制度上、廃止する布告が国民を対象にしたものなのは当たり前。その国民と女帝が結婚された時に、生まれたお子さまが、国民の間に姓の観念が根強く残っていれば、国民だった父親の元の姓を男系で受け継ぐように受け取られかねない、というのが問題の焦点。なので、国民を対象とした布告だからこそ意味があるわけでしょう」と。」

この反論のおかしな点は3つです。

 すでに、これまで何回も指摘してきたことですが、高森さんは『正論』平成16年7月号で、皇位継承において男系主義が貫かれた大きな要因として、「『姓』の観念がひさしく維持されたこと」(144頁)を指摘して、次のように書いています。

「異姓の養子をむかえると、その養子自身は、妻の家名を苗字として名乗るものの、姓は父系によって継承されるため、養子をむかへた家の姓が逆に、その子の代から養子に入った男性の姓に変はつてしまふ。/もし女帝が立つて藤原氏の男性を婿養子にむかへると、皇室そのものが藤原姓になつてしまふのだ。したがって、『姓』の観念を前提としているかぎり、男系の断絶はそのまま皇統の断絶と考へられたはずだ」(同143頁)

 ①つまり、高森さんの旧説では、「姓」を消して、皇室に入っても、「姓の観念」は継続すると言っていたのです。

 ②高森さんの旧説では、皇室にはそもそも「姓」が無いのに、「姓の観念」はあったことになります。つまり、皇室について語る場合には、「姓」の有る無しと「姓の観念」の有る無しとは別問題ということです。したがって、「姓」が使用されなくなったことをもって、皇室において「姓の観念」が過去のもとのなったなどとは、自説に忠実であろうとする限り言えないわけです。
 ところが、高森さんは、「姓」と「姓の観念」をすり替えることで、読者を欺くとともに、自説との矛盾を隠蔽しようとしているわけです。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-24 21:07 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
高森さんの敗北宣言?脱歴史学者宣言?(2)

 高森さんは「ゴー宣言ネット道場」の5月19日づけの「ネット男系派の自爆」で次のように言っています。

「旧宮家系国民男子の「誰」が皇籍取得の意志を持っているのか?という問いに答えられなくて、女性宮家を設けても、「誰」が入り婿になってくれるか分からないではないか、などと喚いているとか。これは、特に低レベルの議論なんだろう。案の定、笑いものになっているそうだ。
女性宮家の入り婿というのは、旧宮家系の男子が皇籍を取得した上で、誰が結婚相手になるのか、ということに対応する話。それなのに、その手前の、誰が皇籍を取得するのかという問題(女性宮家の場合、既に内親王方がいらっしゃる)と、故意にか自覚しないでか(恐らく自覚しないでだろう)、混同してしまっている。やれやれ。」

下手な議論のすり替えですね。宮家設立の問題は、当主が男性にしろ、女性にしろ、高森さんが自ら繰り返しているように、皇位継承者を安定的に確保するための手段です。したがって、皇籍取得者がいたとしても、配偶者が見つからなければ子供は生まれないわけですから、皇籍取得者がいないのと結果は同じことなのです。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-22 20:12 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
高森さん、敗北宣言? 脱歴史学者宣言?(1)

高森さんが「ゴー宣言ネット道場」の5月19日づけのブログで「ネット男系派の自爆」なる文章を書いています。彼がいう「ネット男系派」の中には、私も含まれているようなのですが、そのブログから読み解ける高森さんの本音は、事実上の敗北宣言です。

高森さんは「[ネット上の]議論に参加するつもりはない」と言い、その理由は「時間が勿体ない」「ネット上の男系派の議論は、思った以上に水準が低い」からだとしています。そして、「私の議論が目障りだと感じる男系派がいたら、私を沈黙させるのは至って容易だ、と伝えたい。男系限定で末永く、皇位が安定的に継承され、皇室が存続できる妥当かつ実現可能な具体策を示す。それだけでいい」と言っています。

つまり、彼の議論の唯一の論拠は、男系維持よりも女系容認の方が皇位継承資格者を多く確保できる確率が高いというだけのことなのです。やはり、私が「女系天皇論の非論理性・非歴史性・非倫理性(2)」で書いた通りで、女系容認の歴史的正当性については、議論を回避することにしたようですね。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-20 22:56 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
①言葉のすり替えによって自説を正当化しようとする詐術(3)

記紀の紹介を続けます。

①『日本書紀』の正文では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「生」んだ後、天照大神が、その「物実」を「原(たづ)」ぬれば、自分の物なのだから「吾児」だと宣言しています。

②第一書では、「物実」の交換はおこなわれず、スサノオの命は自分がもっていた玉から直接に天のオシホミミの命を「生」み、そこで天照大神がスサノオの命に悪意がないことを理解したと記されています。

③第二書では、スサノオの命が天照大神のもっていた剣から天のオシホミミの命を「化生」したとなっていますが、その後で、天照大神が天のオシホミミの命を吾子だと宣言したという記事はありません。

④第三書の記事はとても興味深いので詳しく紹介します。
まず天照大神がスサノオの命に対して「お前に奸賊之心がないならば、必ず男を生むだろう。男を生んだならば、私の子として天原を治めさせよう」と言います。そして、スサノオの命は自分のもっていた玉からオシホミミの命を生んで「正(まさ)しき哉(かな)、吾勝ちぬ」と宣言して、「勝速日天忍穂耳尊」と名づけます。この結果、天照大神はスサノオの命の「赤心」を知り、約束通り、生まれた男神たちを自分の子として天原を治めさせます。

⑤天石窟神話を記した第三書では、スサノオの命が「自分の心が清ければ男が生まれるので、その男に天上を治めさせてほしい」と提案して、自分の持っていた玉から「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」を「生」み、その児らを姉に「奉」っています。

『古事記』では、スサノオの命の息吹から天のオシホミミの命が「成」っています。しかし、天照大神は、後から「生」まれた五男神は、自分の物実(ものざね)によって「成」ったのだから「吾子」だと宣言します。それを受けて、スサノオの命は「私の心が清明だったので、女の子が生まれた。私が勝った」といって大暴れを始めます。

以上の記事から次のことが言えます。

①異伝の中には、物実さえもスサノオの命の持ち物で、まさに天のオシホミミの命を単独で生んだとするものがある。

②異伝の中には、生んだ子供の交換が記されていないものもある。

③異伝の中には、天照大神がスサノオの命の正しさを認めて天のオシホミミの命たちを養子にしたというものさえある。

④さまざまな異伝があるにもかかわらず、天照大神が天のオシホミミの命を生んだとする伝えは、『古事記』の一か所しかない。

⑤その一か所は、天照大神の「吾子」宣言の後で、スサノオの命が「私の心が清明だったので、女の子が生まれた私が勝った」といったと言ったと記されている箇所である。しかし、ここには筋の矛盾があり、それをどのように理解すべきかについては、高森氏の旧説が説得的であると思われるので、後に紹介する。

⑥ 天照大神が天のオシホミミの命を「吾子」「吾児」だと宣言した際に使われている言葉は「成」「原」であって、血縁を表す「生」は使われていない。つまり、「生」むという行為によって発生する直系の血縁関係を、「成」「原」という言葉で否定して、親子関係の転換を試みているのである。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-18 22:25 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
①言葉のすり替えによって自説を正当化しようとする詐術(2)

 学者は史料に忠実でなければなりません。そこで「誓約(うけひ)」の場面について、『日本書紀』はどういう言葉を使っているかを紹介します。

 ①正文では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「生」んだとなっています。

 異伝は次のように記されています。
②第一書では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「生」んだとなっています。
③第二書では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「化生」したとなっています。
④第三書では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「化生」した、「生」んだとなっています。
⑤天石窟神話を記した第三書では、スサノオの命が天のオシホミミの命を「生」んだとなっています。

『古事記』では、スサノオの命の息吹から天のオシホミミの命が「成」った。しかし、天照大神が、後から「生」まれた五男神は、自分の物実(ものざね)によって「成」ったのだから「吾子」だと宣言したと書かれています。

以上のことから二つのことが言えます。

①記紀で使われている言葉は「生」「化生」「成」だけであって、「出現」「現」という言葉は使われていません。

②記紀のいずれの言い伝えにおいても、天のオシホミミの命は、「生」「化生」「成」いずれの言葉が使われる場合でも、スサノオの命が生んだとされており、天照大神から生まれたとする伝えは一つも記録されていません。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-15 20:24 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
①言葉のすり替えによって自説を正当化しようとする詐術(1)

高森さんは、新著『歴史で読み解く女性天皇』の中で次のように書いています。
「皇室の血統につながる天のオシホミミの命は、直接には天照大神の弟のスサノオの命が、天照大神の玉飾りを受けとり、それによって出現させたことになっている」
「直接にはスサノオの命が天のオシホミミの命を現れさせる役割を担ったとしても」

この「出現させた」「「現れさせる」という言葉使いに現われた詐術に読者は気付かれたでしょうか

 かつて高森さんは『はじめて読む「日本の神話」』(展転社、平成12年)の中で、次のように書いていました。
「スサノオノミコトが生んだ五男神」「スサノオノミコトが大神から渡された八坂瓊五百箇御統をやはり聖なる井戸で振りすすぎ、がりがり噛んで正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊をはじめとする五男神を化生します」。

 「生んだ」「化生した」は血縁を表す言葉です。神話を人間の血縁関係に当てはめて解釈しようとするならば、決して、軽んじたり、置き換えたりしてはならない言葉です。そして、スサノオの命がオシホミミの命を「生んだ」と言いきってしまえば、いかなる理屈をつけても両者の血縁関係を否定することはできません。そこで、読者が記紀の原文を知らないのをいいことに、「出現させた」「現した」に置き換えて、言葉の操作で、スサノオの命と天のオシホミミの命との血縁関係を見えにくくしようとしたわけです。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-13 23:24 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
 天照大神とスサノオノミコトの「誓約」について、高森さんは新著『歴史で読み解く女性天皇』の中で、こんなことを言い始めました。

「面白いのは、ストーリーの中では皇室の血統につながる天のオシホミミの命は、直接には天照大神の弟のスサノオの命が、天照大神の玉飾りを受けとり、それによって出現させたことになっている。だから、そのままでは「スサノオの命→天のオシホミミの命→皇室の血統」となって、男性神のスサノオの命が皇室の祖先神になるところだ。
ところが、天のオシホミミの命は、天照大神の玉飾りから出現したからーとの理由で、天照大神の子と位置づけ直されている。物語の上では、男性神が祖先神となっても不思議ではない展開なのに、それをあえて変更して、わざわざ女性神に置き換えている
これは何を意味するか。
皇室の祖先神イコール天照大神という捉え方が、古くから動かしがたいものとして定着していたということだ。ストーリーの必要から、直接にはスサノオの命が天のオシホミミの命を現れさせる役割を担ったとしても、結論は、天照大神を皇室の祖先神とする伝統的な観念から、逸脱するわけにはいかなかったのである。」(75頁)

この文には、①言葉のすり替えによって自説を正当化しようとする詐術、②自らの旧説の否定の隠蔽、③容易に反駁できる粗雑な論理、が含まれています。下線部をつなぎ合わせてみると分かります。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-12 22:30 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
 高森さんは、著書『はじめて読む「日本の神話」』(展転社、平成12年)の中で、天照大神とスサノオノミコトの「誓約」について、天照大神は当初は未熟・未完成な「できそこない」であったので、高天原に昇ってきた弟の心情を理解できず、あまつさえ、根強い不信感から「うけひ」のルールを後から変更して、「スサノオノミコトが生んだ五男神は私の持ち物から出現したから私の子」(81頁)だと宣言し、潔白だったスサノオノミコトの怒りをかってしまったと書いています。

その解説の中で、高森さんは「スサノオノミコトが大神から渡された八坂瓊五百箇御統をやはり聖なる井戸で振りすすぎ、がりがり噛んで正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊をはじめとする五男神を化生します。『正哉吾勝勝速日』(『紀』の表現。『記』では正勝吾勝・・・)というのは、ウケヒにおける勝利、つまり今の場合、スサノオノミコトの潔白が証明されたことを表現するものです」(81頁)と書いています。つまり、五男神は本来スサノオノミコトが生んだ子供達だったと言っているわけです。

そこで、例によって学者としての高森さんに質問です。いままで、何回訊ねても、頬っかむりして、答えていただけなかった質問です。

①あなたの説では、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、「スサノオノミコトが生んだ」のですから、スサノオノミコトを父とする男系の神ということになりますよね。

②そうすると、田中卓氏の「天照大神はが“女神”であることを思えば、皇統の始まりが“女系”であったと申してもよい」という議論を、あなたは肯定できませんよね。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-11 20:23 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
田中卓氏は「女系天皇公認の歴史的正当性」(『わしズム』30号)の中で、女性天皇が皇婿をむかえても、「皇室には氏が無く、皇室に入られた方は、その時点で同時に氏(甲氏)が消えるのであるから、甲王朝など、生ずる訳がない」(35頁)と述べておられます。

この議論は、所功氏の以下の主張を取り入れたものだと思います。「皇統系譜は、あくまで当代の天皇を中心に繋いでゆくのであるから、従来の男系男帝より男系女帝を経て女系子孫の天皇(男帝か女帝)となっても、皇配(天皇の配偶者)の家系は姻戚にすぎない(しかも元来、“姓”のない皇室に入る際、入夫の姓=苗字は消える)」(『皇位継承のあり方ー“女性・母系天皇”は可能かー』PHP新書、131頁)

 ところで、高森さんは『正論』平成16年7月号で、皇位継承において男系主義が貫かれた大きな要因として、「『姓』の観念がひさしく維持されたこと」(144頁)を挙げています。

「異姓の養子をむかえると、その養子自身は、妻の家名を苗字として名乗るものの、姓は父系によって継承されるため、養子をむかへた家の姓が逆に、その子の代から養子に入った男性の姓に変はつてしまふ。/もし女帝が立つて藤原氏の男性を婿養子にむかへると、皇室そのものが藤原姓になつてしまふのだ。したがって、『姓』の観念を前提としているかぎり、男系の断絶はそのまま皇統の断絶と考へられたはずだ」(同143頁)

 さて、そこで、例によって、学者としての高森さんに質問です。

 ①古代の「姓」の観念にしたがえば、皇婿を迎えると、氏という記号を消したところで、皇統の断絶になるのではありませんか。

 この質問への逃げ道として、明治4年10月の太政官布告によって、公文書における姓の使用が停止されたことを持ち出されると思いますが、それについては、二つの質問に答えてください。
②岡野友彦皇學館大学教授は、この太政官布告は「あくまでも民間に対して出された一法令にすぎない」(『ボイス』平成16年12月号228頁)、要するに、もともと姓のない皇室には無関係な法令だ、言われています。この批判にどう答えられますか。
③少なくとも、明治四年以前の観念では皇婿は認められない、と考えてよろしいでしょうか。

④聖武天皇の皇后であった光明子は、自筆の『楽毅論』に「藤三娘」と署名し、「積善藤家」という印を使用しています。「藤三娘」とは、藤原不比等との三女という意味であり、「積善藤家」は藤原氏の繁栄を願ったものであると言われています。そうなると、光明子は皇室に入られて、姓が消えてからも、自分が藤原一族であることを強く意識していたことになります。つまり、姓が消えても、姓の観念は消えない、そう理解してよろしいでしょうか。
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-10 20:48 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)
小林よしのりさんは、「ゴー宣言ネット道場」の【提言 女性宮家創設は皇統維新である】の15分50秒あたりで、明治28年7月竣功の『皇統譜』を持ち出して、「天照皇大神」の横に「世系第一」と書かれて、この「世系」とは「血統」のことで、だから「天皇の血統は天照大神から始まる」と言っています。そして、「神武天皇」の横に「皇統第一」とあるのは「初代天皇のこと」、つまり、ここでの「皇統」とは「皇位」の意味だといっています。

 ところで、高森さんも、小林さんも、田中卓氏も、“「皇室典範」第一条の「皇統」には男系と女系の両方が含まれると解釈できるから、女系天皇になっても「皇統」は断絶しない”と主張しています。ここでの「皇統」の解釈は、「皇統」=「皇位」ではなく、「皇統」=「血統」でしょう。

 『皇統譜』を根拠にするときには「世系」が「血統」で、「皇統」は「皇位」。ところが、「皇室典範」を根拠にするときには「皇統」が「血統」。つまり、自分の議論に都合がよいように、史料によって「皇統」の解釈を変えているわけです。

 ところが、そうなると『皇統譜』と「皇室典範」とでは、「皇統」の意味が違っていることになってしまいます。小林さんの表現に従えば、『皇統譜』と「旧皇室典範」は、ともに「明治天皇の勅裁によるもの」です。その両者において「皇統」の意味が違うとすれば大問題です。

 ただし、この矛盾は、女系を正当化しようとして恣意的な解釈をするから起こるだけで、『皇統譜』でも「皇室典範」でも「皇統」は「男系の血統」を意味し、『皇統譜』の「世系」は、葦津氏の解釈にしたがって「霊統」の意味だと考えれば何の矛盾もありません。

 そこで、学者としての高森さんに質問です。

①明治28年7月竣功の『皇統譜』と、明治22年2月11日制定の「皇室典範」とでは、「皇統」の意味が異なるのでしょうか。

②小林よしのりさんは『皇統譜』を絶対視して「明治天皇の勅裁によるものであり、学者・評論家の議論の余地などない!」と言っていますが、そこに書かれている「神武天皇の御年一百三十七歳」も議論の余地のないものなのでしょうか。議論の余地があるとすれば、議論の余地の有るものと無いものを誰が決めるのでしょうか。「君臣の分義」を厳かに守ると自称する高森・明「」さんですか?
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# by nitta_hitoshi | 2012-05-09 18:32 | 女系天皇(主に高森さんへの問い)