新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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 父と母で二人、祖父と祖母で四人、曾祖父と曾祖母で八人。こうやって自分のご先祖様を数え、時代をさかのぼって行くと、鎌倉時代頃には何と一億三千万人以上になり、当時の実際の人口(推定七百万人弱)を軽く越えてしまうのだそうだ。
 ということは、先祖をたどれば日本人はみんな親戚で、私達のご先祖様の誰かは、いつの時代にも、この国のどこかで暮らしていたということになるらしい。その中には、この国の発展に貢献した人がいたかもしれないし、そこまでいかなくても、その時々の国の様子に影響されながら生きていたことだけは間違いない。となると、この国の歴史は、私達と無関係な単なる時間の流れや出来事の羅列ではなく、自分の命に連なるご先祖様たちの記録ということになる。

 これが分かると、子供達は日本の歴史を「わがこと」と感じて、とても熱心に勉強するようになるのだそうだ。そんな素晴らしい授業をしている先生がいることを、最近、斎藤武夫著『学校でまなびたい歴史』(扶桑社)を読んで知った。

 ところで、戦国時代の我がご先祖様たちについて、『最新日本史』(明成社)という高校の教科書には、興味深い記録が載っている。口語になおしてみると、ざっとこんな具合だ。
「異教徒の中で日本人以上にすばらしい人々はいないだろう。日本人は礼節を重んじ、善良で悪い心を懐かず、何よりも名誉を重んじるのは驚くべきことだ。彼らは貧乏だが、武士も、武士でない者たちも、貧乏を恥ずかしいことだとは思っていない」
 これはキリスト教を広めるために日本にやってきたフランシスコ・ザヴィエルが本国に書き送った手紙の中の一節である。戦国時代と言えば、弱肉強食、何でもありの無法時代のように思っていたが、その時代でも、我がご先祖様たちは、信仰を広めるために世界の裏側までやってきた宣教師を驚かせるほどの「徳」を備えていたらしい。

 ひるがえって、今の世情に目をやれば、「平和憲法」の下で「人権教育」花盛りなのに、凶悪犯罪は急増し、犯罪検挙率は世界最低に落ち込み、お小使いほしさにパンツやオシッコまで売る少女や、それを買う情けない大人まで現れてきた。たしかに、物だけはどの時代よりも豊かなのだろうが、何だかちょっと恥ずかしい。
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# by nitta_hitoshi | 2006-09-22 09:03 | 心のシンフォニー

平成18年9月22日

18日から21日まで、松浦先生とゼミの学生をつれて、鹿児島・熊本・長崎の研究旅行に行ってきました。知覧の特攻平和記念館、南洲墓地・南洲神社、田原坂(西南の役の激戦地)などを見学するのが目的で、毎年この時期に行っているものです。。
 この旅行では、出発が9・11テロの翌日だったり、鹿児島湾で引き揚げられた北朝鮮の工作船を見たり、と何かしら印象深いことが起きるのですが、今年は、熊本港から島原港にわたるフェリーに乗っている最中に「安倍新総裁」が誕生しました。
 個人的には、特に平成11年以来、毎年さまざまな困難に直面していますが、この時期に特攻隊員の遺書や西郷さんの事績に触れることで、勇気づけられ、新たな力をいただき、夏の疲れを癒して秋の陣に向かう。そんな感じです。
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# by nitta_hitoshi | 2006-09-22 09:01 | 日記
 平成25年第62回神宮式年遷宮に向けて、伊勢の町では今年から神宮に御用材を運び込む「お木曳き行事」がはじまります。陸や川を曳かれていく御用材を思い浮かべると、私の頭には同時に明治天皇のお姿が浮かんできます。

 明治37年のことですが、内務大臣芳川顕正と宮内大臣田中光顕は、御用材の確保が困難になったことを理由に、神宮の建築様式を、土中に直接柱を立てる掘立様式から、コンクリートの土台の上に基礎石をおいて柱を立てる様式に変更したい旨を上奏しました。20年毎の御用材の確保が難しくなってきたので、神宮の建築様式をもっと柱が長持ちする近代的なものに変えたい、というわけです。

 しかし、明治天皇はこれをお許しになりませんでした。「材木が足りなくなって来たからといって、その事情に合わせて、神宮の古来の建築様式を改めるのではなく、古来の様式を守る方策を先ず考えるべきだ」とのお考えだったのでしょう。必要な材木の確保の方法を宮内省御料局(後の帝室林野局)に御下問になったのです。こうして、明治39年、長野県の木曽の山に御用材育成のための広大な「神宮備林」が新たに設定されました。平成二十五年の式年遷宮の御用材もそこから切り出されることになっています。

 私がこの明治天皇のご努力を思い出したのには、もう一つ理由があります。昨年11月24日、「皇室典範に関する有識者会議」は、将来の皇位継承を安定的なものにする方策として、初代の神武天皇以来125代・約2千年の間一貫して守られてきた「皇位の男系継承」の大原則を変更して、「女系天皇容認」「長子優先」を原則とする皇室典範の改正を小泉首相に答申しました。私には、それがかつての芳川内相や田中宮相の上奏に重なって見えたのです。

 「男系継承」が古来の大原則とはいえ、それを変えなければ皇室が消えてなくなってしまうというのであれば、それは致し方ないことでしょう。しかし、皇位継承の安定化のためには、まだ別の方策が残されています。敗戦の時に占領軍によって強引に皇族の身分を剥奪された旧宮家の人々に皇族としてお戻りいただくという方法です。この問題についての今上陛下のお考えはどのようなものなのか、私には知る由もありません。ただ、明治天皇のご努力に思いを致すと、「神宮備林の設定」と「旧皇族の復帰」とが、私には本質的なところで繋がっているように思えるのです。
 
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# by nitta_hitoshi | 2006-09-13 21:34 | 心のシンフォニー
古い文章で申し訳ないのですが、平成15年6月からはじまった「産経新聞」三重版の「心のシンフォニー」という欄に書いたエッセイをしばらく載せて行くことにします。

新田均

 わずか三年ほどの間だが、大学の野球部の顧問をしたことがある。その時に、「先輩達が残した借金をどうするか」というとこが大問題になった。大学から支給されるクラブ費がわずかなために、代々の学生たちはアルバイトで道具代を賄ってきたが、それでも足りずに用品店に借金をし続けていたらしい。それが、後へ後へと繰り越されていく内に、もう何を買ったかも分からないような借金が何十万円にも膨らみ、一度清算しなければこれ以上は何も買えないという状態になっていた。

「どうしたらいいでしょうか」と学生から相談されたのは、顧問就任二年目のことだった。そこで、部員達を集めて相談することにしたのだが、その借金は、私にとっても、その時の在学生たちにとっても、「俺達のせいじゃないよ」と言いたい代物だった。しかし、話し合いの結果、学生たちはこんな結論を出した。
「みんなで一斉にバイトをして返そう。自分たちの練習時間を犠牲にするのは不本意だが、野球部の存続には代えられない」
彼らは大した試合成績こそ残さなかったものの、借金を清算し、立派にクラブを後輩たちに受け渡して卒業していった。そんな彼らを、私は今でも密かに誇りに思っている。

 歴史を学んでいると、彼らのように、必ずしも自分たちの責任ではない苦労を、まじめに背負ってくれた名もない人々が沢山いたことに気づく。そのような人々こそ、この国の存続と繁栄を支えてきたもっとも大切な「インフラ」だったと思う。だが、その「美質」を、今の私たちは急速に失いつつあるような気がしてならない。
濡れ手に泡の大儲けを夢見た果ての不良債権の山。後へ後へと先送りされ、もはや庶民の想像をはるかに超えてしまった国の膨大な借金。昨年六月の統計では、赤ん坊まで含めて、国民一人当たりの借金が過去最悪の477万円にも達しているという。それでも、まだまだ国の金で「景気を回復してもらいたい」「老後の福祉を充実して欲しい」などという虫のいい願いを棄てきれない者が多い。

 だが、ツケを回された世代は、この時代の大人たちの老後をちゃんと支えてくれるだろうか。自らの豊かさだけを追及した世代に、明るい未来や、誇りある老後など、本当にやって来るのだろうか。
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# by nitta_hitoshi | 2006-09-13 07:00 | 心のシンフォニー