新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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「これによりてこれを観れば、幕府は当時の勅命に会して、真に徳川政府の実を存せんと欲せば、この要求を謝絶するの一策あるのみ。」(一三七頁)
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by nitta_hitoshi | 2013-03-10 23:19 | 英訳原文
「幕府はすでに日本の実権たること、国政は旧に依って大樹に御委任と明言ありしにて明白なるが上に、実際二百余年間の中央政府なるに、外交の事は勅裁を仰ぐべし、諸大名を率いて上洛なして議定すべしと京都より差図せられ、遂に五大老を置け、一橋・越前を後見・総裁にせよとまで干渉せられては、幕府たるもの悪んぞ政府の実権を保つを得べけんや。これ、表面こそ顕われね、その実は幕府は政権を返上すべしと云うの要求に異ならざるなり。」(一三六頁)
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by nitta_hitoshi | 2013-03-09 22:53 | 英訳原文
 ところが、事実は違う。福地が幕府の衰亡を決定的にしたとして重視したのは、文久二年六月、江戸に下向した勅使が突き付けた要求を幕府が受け入れて、一橋慶喜を将軍後見職に、松平慶永を政事総裁職に、それぞれ任命するとともに、将軍の上洛を決定したこと、一言で言えば、幕府が政治改革を求める勅命にしたがってしまったことだった。『幕府衰亡論』(東洋文庫、平凡社、昭和四二年)から、その部分を引用する。
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by nitta_hitoshi | 2013-03-07 22:04 | 英訳原文