新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。

 小林さんは、本当に悲しいほどに文献に無知、というよりも、自説が否定されるのが恐ろしくて文献を確認する勇気がない、というのが現状のようです。

 彼は『WiLL』平成23年1月号206頁で次のように書いています。
「武烈天皇の姉妹は仁賢天皇の皇女ですから、「男系の女子」です。仮に渡部氏が言うように「胤」が「男系」を指すとしても、その中には武烈天皇の姉妹は当然含まれるはずです。」

 それでは『神皇正統記』の記述はどうなっているかといいますと、「武烈かくれて給て皇胤たえにしかば」です。

 小林氏が言うように「胤」に「男系の女子」が含まれるとすれば、仁賢天皇の皇女である武烈天皇の姉妹がいらっしゃるわけですから「皇胤たえにしかば」などとは絶対に書けません。したがって、、北畠親房のいう「皇胤」とは「男系の男子」のことであると解釈する以外にはないのです。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-29 20:55 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。

 『WiLL』平成23年1月号の「渡部昇一氏への最終回答」でも、また、小林さんは「知的老醜」を晒しています。彼の脳の状態は「前に自分で書いたことを忘れてしまう」段階から、「今、自分が書いたことを忘れてしまう」段階へと症状が進行してしまっているようです。

 『WiLL』同号206頁の1行目で「武烈天皇の姉妹は、男系・女系に関係なく、女子だから皇位を継げなかったのです。なぜか。その理由はまさに「シナ男系主義の影響」です。」と書いた2行下で、彼は次のように言っています。

「『日本書紀』の継体天皇条に、次のように書かれています。
「武烈天皇は五十七歳で、八年冬十二月八日におかくれになった。もとより男子も女子もなく、跡継ぎが絶えてしまうところであった」(講談社学術文庫・宇治谷孟訳、傍線わし)
 男子しか跡継になれないのであれば、「もとより男子なく」と書けば済むはずなのに、「男子も女子もなく」と書いています。これは、せめて女子一人でもいれば、女系でつなぐこともありえたという記述と推察されます」

 「男系・女系に関係なく、女子だから皇位を継げなかった」と言い切った直後に「せめて女子一人でもいれば、女系でつなぐこともありえた」と「推察」できてしまうのが、今の彼の「脳の状態」なのです。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年10月20日号と11月10日号で、女帝の功績を並べたてて、女帝は単なる「中継ぎではない」と主張したのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-28 06:26 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。

 小林さんは『サピオ』11月10日号62頁で「20世以上離れた傍系に皇位が移ろうものなら、たちまち「皇統は断絶した、これは新王朝だ!」という声が上がるに決まっている」「万世一系は万世男系ではない! 皇位は直系で継ぐことを原則としなければならない」と主張してします。

 これについての批判点は三つ。

①.直系を皇位継承の原則とすれば、すでに第14代の仲哀天皇の時にその原則は崩れています。ですから、皇統はとっくの昔に断絶しているとの声が上がるにきまっています。

②.旧皇族の皇籍取得のためには、その前に皇室典範の改正が必要です。したがって、皇位継承の時点では、すでに国民の合意が得られていることになります。

③.この次号の『サピオ』(11月24日号)では、小林さんは「万世一系」ではなく「萬葉一統」だとの主張しはじめました。田中説を聞いたのは8月末だったそうですが、それでは何故、この号では「万世一系は万世男系ではない!」なのでしょうか。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年9月29日号で、「皇位継承は男系に限るなどという法がつくられたことはなった」(55頁)と言い、男系に限ったのは明治からで、その源流は島田三郎の男尊女卑論だったと主張した(60頁)のも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-27 12:58 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんは、自分の主張を読者に刷り込むために、自分に有利な史料だけを紹介したり、不利な史料は隠したり、という手をよく使います。

 彼は『サピオ』平成11月10日号で、継体天皇は「要するに「入り婿」である」(59頁)、「男系の血筋の不足を女系の血筋で「格上げ」することで、やっと皇位に就くことができた」(60頁)と主張しています。ところが、その根拠としては、『古事記』の「手白髪(たしらかの)命に合(めあわ)せて、天の下を授け奉りき」という文しか引用していません。

 継体天皇の即位と立后について、『日本書紀』では、即位の後に、臣下の助言を入れて手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后に迎えたと記されてます。したがって、『日本書紀』に基づけば、仁賢天皇の娘で、武烈天皇の姉である手白香皇女との結婚は、即位後ということになりますから、天皇の地位の「補強」のためとは言えても、それがなければ、皇位継承ができなかったとまでは言えません。

 そして、女系が皇位の「補強」以上の力を持ち得なかったことは、手白香皇女自身が皇位に就かなかったことからも明白です。女系でいいのであれば、それこそ、手白香皇女自身が天皇となって、まさしく男大迹王(継体天皇)を婿にして、男系の血で補強すればよかったのです。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年9月8日号で、『神皇正統記』は「直系」を「根本原理」としていると主張する山田孝雄氏の説を持ち出しのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-26 06:39 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんの『サピオ』平成11月10日号で58頁での「飯豊皇女(いいとよのひめみこ)」への言及が、意味不明というよりも、自説否定以外のなにものでもない理由をもう一つ指摘します。

 彼は「履中天皇の孫で、父を雄略天皇に殺されて播磨に隠れていた兄弟が発見され、飯豊皇女はこの二人を上京させ、皇位につけた」(同58頁)と書いています。

 この兄弟は、飯豊皇女の兄弟の子供たちで、後の顕宗天皇と仁賢天皇ですが、発見される前は、身を隠して火焚きをしていました。ということは、その時点では二人は皇族ではなかったわけで、飯豊皇女は小林氏が重視する「君臣の分義」を無視して、「この二人を上京させて皇位につけた」ことになります。その理由は、皇位継承の原則が「男系」継承であったから、としか説明のしようがないでしょう。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年8月4日号で、「もともと天皇に『姓』はないのだから、[女系天皇になっても]『易姓革命』など起こらない」(69頁)と言ったのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-25 06:09 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんは『サピオ』平成11月10日号で58頁で「飯豊皇女(いいとよのひめみこ)」について書いていますが、意味不明というよりも、自説否定以外のなにものでもありません。

 彼は「両書[『古事記』『日本書紀』]とも正式に即位したとは書いていないが、天皇の臨時代理を務めたことは間違いなく、後世の史書『扶桑略記』『本朝皇胤紹運録』では飯豊皇女を天皇として扱っている。後の推古女帝が登場する下地はここで作られていたと言えよう」(同58頁)と書いています。

 つまり、飯豊皇女は「天皇の臨時代理」つまり「中継ぎ」で、それが推古天皇登場の「下地」だったというのです。

 ところが、彼は1号前の『サピオ』(10月20日号)で「偉大なる女帝歴史」を書き、「中継ぎ」論を躍起になって否定していました。

 たしかに、秘書が指摘しているように「自分の書いたことも忘れる」というのは本当で、さらに「即座に」という形容動詞を付け加える必要がありそうです。

 ちなみに、『サピオ』10月20日号の「偉大なる女帝歴史」は、「中継ぎ」という意味を、皇位継承の原則から見ての評価から、天皇の業績から見ての評価へとすり替えて「中継ぎ」論を否定するというペテンの構図で描かれています。皇位継承の原則から見ての「中継ぎ」説が「歴史研究の上ではすでに否定されている」(同55頁)などという事実はありません。

 さらに言うと、彼が『サピオ』平成11月10日号で言及した『本朝皇胤紹運録』では、オシホミミノ尊について「素戔嗚尊第一子、天照大神立誓約以為子」と書かれています。オシホミミノ尊は素戔嗚尊が生んだ子供であったが、天照大神が誓約にしたがって自分の子供にしたというのです。高森説の根拠はこれかもしれません。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年7月14日号で、「旧譜皇統譜」を持ち出して「明治天皇の勅裁によるものであり、学者・評論家の議論の余地などない」(62頁)として、天照大神が女性だから皇統は元々女系だと言えるという自説を強要しようとしたのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-24 06:12 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんは『サピオ』平成11月10日号で57頁で「決して不勉強な男系論者が妄信するような「2600年間、一貫して男系を尊重してきた」なんて単純な話ではない」(同57頁)と主張して、その根拠として、次のように述べています。

 雄略天皇が「皇位継承のライバルとなる兄二人、いとこ三人をことごとく殺した」のは「天皇の后妃たちの「実家」である豪族間の争い」が原因であり、こここから「この頃の皇族は「女系」の帰属意識の方が強く、「男系」の結合は極めて脆弱だったのだ」(同57頁)

 ここでも例の「すり替え」と「ペテン」の論法が用いられています。

①.皇位継承の「原則」をめぐる議論が、皇位継承争いの「原因」をめぐる議論にすり替えられています。皇位継承争いの原因が「女系」意識の強固さにあることをいくら主張しても、それによって、皇位継承の原則が証明されたことにはなりません。

②.雄略天皇が殺した「皇位継承のライバル」がすべて男性であったことが、むしろ、皇位継承の原則が「男系」であったことを証明しています。

○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年6月23日号で、「『女系』天皇を否定してきた理由は、紛れもなく『男尊女卑の国民感情』のせいである」(59頁)と言い出したのも、「養老継嗣令」で「法的にも女系継承が認められていた」(66頁)と言い出したのも、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)であり、櫻井よしこ氏や大原康男氏を宇宙人と手を繋がせて描いたり、青年将校の服を着せたりして貶めたのは「やけっぱち」から生まれた「誹謗中傷」(スカンク攻撃?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-23 06:51 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

小林さんは『サピオ』平成11月10日号で56頁で
「ちょっと歴史を勉強すれば、600年以上、20世以上隔絶した大傍系に皇位を移すなど絶対にありえないということぐらい誰にでもわかる」
「どんなに傍系に移しても、曾孫以上に離れたことは、「五世」の継体天皇1例しかない」
「「20世以上」があり得ないのはもう議論の余地はなくなっている」
と繰り返しています。

 これについては、こちらもこう繰り返しておきましょう。

①.ちょっと歴史を勉強すれば、男系維持の可能性がある中で、歴史上一例も存在しない男系を切断しての女系に皇位を移すなど絶対にありえないということぐらい誰にでもわかる。

②.世襲親王家を設けて、どんなに世代が離れていても皇位を継承させるという制度が、敗戦による占領軍の圧力を受けるまで540年以上も続いてきた。

③.600年も遡って世襲親王家の制度を否定するのは、占領政策に追随する歴史否定以外のなにものでもない。


○補足

 『国民新聞』10月25日号の「わしは『万策尽きれば女系も認める』という穏健的な男系論者の方々には敵意を感じてはいません。わし自身、以前はその意見だったからです。そしてなぜわしが転向したかというと、いろいろ調べてみて『もう万策は尽きている』と分かったからです。」との小林さんの発言は、何度も言いますが、驚くべき発言です。

 彼自身が「女系天皇容認」に「転向」した真の理由は「もう万策は尽きている」と思ったからだと告白しているわけですから、彼がこれまで唱えてきた女系天皇を正当化するために唱えてきた言説はすべて、「やけっぱち」から生まれた「屁理屈」(スカンク理論?)だったということになります。

 ということは、彼が『サピオ』平成22年6月9日号で、「悠仁さまよりも、もうすでに国民は愛子さまに心を奪われている」(61頁)、「皇室典範が改正されれば、天皇の子である愛子内親王殿下が皇太子になる!」(65頁)と主張しはじめたのは、「やけっぱち」から生まれた「後付けの理屈」「捏造」「屁理屈」(スカンク理論?)であり、男系主義者を「カルト信者」(67頁)呼ばわりしはじめたのも、「やけっぱち」から生まれた「誹謗中傷」(スカンク攻撃?)だったことになります。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-22 10:06 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

ここで、あらためて『サピオ』11月24日号で、小林さんが『神皇正統記』について述べたことのポイントと私の反論を整理しておきましょう。

 彼は自らの「『神皇正統記』は〈直系〉を重んじた」という主張に対して、田中卓先生から「親房の議論に「男系の」という用語はありません」(67頁)というお墨付きをいただいて、「『神皇正統記』は「直系」を「正統」としている!!」(同66頁)と繰り返しました。

 ところが、親房は「父死て子立を世と云うとあり」と明確に書いており、『神皇正統記』にはちゃんと「男系継承」を意味する説明があるのです。

 これに対して、小林さんの主張する「直系」も「女系」も『神皇正統記』の用語にはありません。これは彼にとっては「決定的なこと」なのです。


 「123」で、〈老化の本当に怖いところ、悲しいところは、「すでにそうなっていることに本人自身が気付かないことだ」と思わずにはいられません〉と書きましたが、改めてそう思います。ただ、秘書さんだけは、そのことに気付いていて、一生懸命に「赤ワイン」を勧めているのでしょう。

 私の批判が、よしりん先生の頭脳のメルトダウンを多少なりとも促進してしまったのだとすれば、公のためとはいえ、個人的には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-18 08:33 | 小林よしのりさん批判
◎これがゴーマニストの終わり方、劇的ではなく、情けなく終わる。 

「権威に媚びリスト」「大家に頼リスト」になってしまった小林よしのりさんは、田中卓先生の権威に目が眩んで、その言葉を検証しようとする姿勢が皆無だと前回書きましたが、その例をもう一つ指摘しておきます。

 小林さんは、田中先生が用いた言葉「萬葉一統」を押しいただいて「考えてみれば、右も左も明治以降に使われたにすぎない「万世一系」という言葉に縛られ続けてきたのではないだろうか?」(『サピオ』11月24日号68頁)「皇統は「萬葉一統」である」(同69頁)と書いています。

 田中先生によれば、「万世一系」は「明治になってから」「岩倉具視あたりが使うんじゃないか」ということで、「これは遡れば幕末、文政9年の『國史略』の序文の「正統一系」が元じゃないかと私は見ています」(同67頁)とのことです。
 ちなみに、文政9年=1826年は、まだ「幕末」ではないでしょう。「幕末」は嘉永6年(1853年)のペリー来航以降というのが常識的な見方です。
 それはともかく、田中先生によれば「万世一系」は1826年以降の概念ということになります。

 それでは、「萬葉一統」の方はどうかといえば、吉田松陰の「士規七則」の中で「日本の特徴を述べた所に出てくる」(同67頁)言葉だそうです。ところで、「士規七則」は安政2年(1855年)の著作です。ということは、まさに「幕末」、しかも吉田松陰は尊皇の志士であっても「国史の専門家」ではありません。

 田中先生の説明を受けて、小林さんは「もともと「万世一系」などという細い糸のような血筋で繋がってきたのではないことは当たり前のこと。本当は「萬葉一統」、皇統に属する者であれば、女系も傍系も含めて、「帯」のような幅で繋がってきたと考える方が自然である」(同68頁)と書いていますが、そうのように主張するのであれば、少なくとも以下の三点について検証する必要があります。

①.どうして、1855年以降の言葉で、1826年以来の概念が否定できるのか?

②.どうして、1855年以降の言葉が、古代以来の皇位継承の原則を正しく言い表していると言えるのか?

③.田中先生の「萬葉一統」解釈が松陰の考えを正確に捉えていると証明できる文献が他にあるのか?

 これらの検証を経ないで、ただ田中先生の説をそのまま公表している小林さんの姿勢から伝わってくるメッセージは「田中先生という権威がおっしゃるのだから間違いない。検証の必要などない」ということです。
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by nitta_hitoshi | 2010-11-17 05:36 | 小林よしのりさん批判