新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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おわび

 私がチャンネル桜で、高森(たかもり)さんのことを、高(こう)森(もり)さんと読み間違えてしまったのを、“蝙蝠(コウモリ)さんと呼んだ”と誤解されている方がいらっしゃるようです。

 しかし、あれは、あくまで誤読であって、私の「あがり症」が禍してしまったものにすぎません。ただ、社会的に混乱を招くような事態になっているとすれば、深くお詫び申し上げます。

 ただ、「たとえ読み間違いだったとしても、それは長く“高森ファン”として彼の言動を見続けてきたお前の潜在意識の現れだ!」とまで言われれば、目に見えない世界のことですので、どう弁明したらいいのか言葉に詰まってしまいますが・・・・・。
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by nitta_hitoshi | 2010-05-31 20:25 | 日記
ゴーマニスト「降格」準則

5.読者をナメたら降格!

 今日になってもまだ、悲しみが続いていて
 
 残念で、情けなくて、「ご~まんかませません・・・・・(嗚咽)」
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by nitta_hitoshi | 2010-05-30 05:44 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

5.読者をナメたら降格!

 チャンネル桜の討論で、私が「小林さんが『神武天皇からつながっているんでよ、スゴイね~っ!』て描けば、みんな納得するかもしれませんよ。『600年を超えて継承されるじゃないか、こんなこと世界にあるのか!』みたいに描けば、『ゴー宣』で。」と言ったといって、小林さんはえらくご立腹の様子です(『サピオ』平成22年6月9日号62頁)。

 あの発言は、旧宮家系男子の方々の存在をUFOに例える非常識さにあきれて、思わず「ほざいてしまった」皮肉なのですが、どうやら痛いところを突いてしまったようです。私の悪いクセで、反射的に他人の触れられたくところに触ってしまい、激怒させてしまうのです。

 ただ、映像に残っているかどうか分かりませんが、あの瞬間の小林さんは、まんざらでもなさそうな顔をしていた、という印象があります。少なくもと、怒ってはいなかった。むしろ、一瞬、「それも、そうかな」と心が動いたように私には見えました。

 ところが、すぐに男系否定の議論にもどってしまった。その時は、「どうしてだろう?」と不思議思ったのですが、どうやら、あの討論に出てきた時は、すでに伏見宮家批判を『サピオ』に入稿ずみで、もう後戻りできなかったのだと思います(『サピオ』平成22年3月31日号に掲載)。

 したがって、「『ゴー宣』の読者をナメてるのか!?」という怒りは、“後付けのポーズ”だと「推測」します。

 小林さんは「どんな馬鹿げたことでも、わしが描けば、右でも左でも洗脳できると思ってるのか!?」(6月9日号62頁)と叫んでおられますが、この言葉を「有識者会議の報告書の否定でも賛美でも、わしが描けば側室肯定でも否定でも洗脳できると思ってるのか!?」と入れ替えたら、どうなるでしょうか。

 平成17年の『挑戦的平和論・下巻』では、「有識者会議」を「無識者会議」と呼び、そこに集った人々を「呆れてモノも言えない」「非常識にもほどがある」「正気の沙汰とは到底、思えない」と非難しておきながら、今や「報告書は正しい」と180度と解釈を変えました。そのことについて、読者への説明も、非難の対象とした人々への謝罪もありません。

 吉川弘之座長の「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」との発言に対して、「『歴史観・国家観ぬきで』皇室を考えたとは、非常識にもほどがある」と言ったのは「よしりん」ですよね。それが、どうして、「ほお・・・大したものだ。これは相当専門的な知識のある人間でなければ書けない内容だ」(『サピオ』平成21年12月16日号68頁)、「報告書はあくまで伝統を尊重し、男系絶対主義者の主張も含めたあらゆる選択肢を考慮した上で、最善の選択として結論を出した立派なものだ」(同69頁)という認識に変わったのか、きっちりと説明してほしいですね。

 もしかして、平成17年の時は報告書を読んでなかった? 「彼らは本当に有識者会議の報告書を読んだのだろうか? いや、絶対に読んでないはずだ!」(12月16日号68頁)っていうのは、昔の自分のこと? 読みもしないで、「無識者」「呆れてモノも言えない」「非常識にもほどがある」「正気の沙汰とは到底、思えない」なんて罵倒したの? それってヤバくない? 今も同じ事してない?

 「ともとも天皇制と民主主義は相容れないものなのであり、この提案[側室の復活]も真剣に選択肢に入れて然るべきである」と主張しておきながら、今や側室復活を口にする人々を「呆れた連中」「究極の嘘つき」「自己欺瞞に満ちた連中」(『サピオ』平成22年5月12日号63頁)と口を極めて罵れるのは何故なのでしょうか。 

「わしは人を『洗脳』はできない!」「読者の本来持っている常識に、自信を与えることしかできない!」「読者を非常識に『洗脳』することはできないのだ!」(6月9日号62頁)と絶叫されていますが、あの当時は、常識をもたない、非常識に洗脳できる人々を対象に描いていたのでしょうか。天皇制と民主主義とは相容れないという主張はどうなったのでしょうか。『ゴー宣』を読み続けている一読者として、是非、御説明願いたいと思います。

「マンガだから根拠無く他人を罵倒しても許される。マンガ家だから考えに一貫性は必要ない。」 そんな甘ったれた、情けない考えをお持ちだとは信じたくありません。

 小林さんは、零細企業の社長として、日々の生業に大変だとのことです(『WiLL』平成22年7月号192頁)。「わしは常に20万の読者の外に向かって走る。ついてこれる者だけついて来ればいい」(6月9日号69頁)のだそうですが、古くからの読者も大切にしないと、20万の読者を維持することは難しく、生業にも差し障りが出るのではないかと心配です。最後まで、読み続け、買い続けるのは私だけ。そんな状態は悲しすぎます。

 今回は、残念で、情けなくて、「ご~まんかませません・・・・・(涙)」
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by nitta_hitoshi | 2010-05-29 07:06 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

4.話をすり替えて逃げたら降格!

つづきのつづき。

 小林さんは「皇統問題の核心を語る」の中で、「難癖の③ 人に『推測するな』と言っといて、自分は推測し放題じゃないか~」への答えとして、以下のように言っています。

「わしは『憶測で書くな』と言っただけで、『推測で書くな』とは言ってない」
「『推測』と『憶測』の違いくらい理解せよ」
「0.001%でも疑いの余地があれば推測でしか書けない」
「これは誠実な書き方だ」
「根拠がいくつも提示できる時は推測で書く」
「これくらい学者なら分かっていなければならない」
「新田の学者としての素質が疑われる」
「根拠がある推測なのか、根拠のない憶測なのかの区別もつかない」
「新田は学者の誇りを捨てた!!!」

これも答えになっていませんね。
というよりも、質問の核心を避けています。逃げちゃってます。

①.第一に、「0.001%でも疑いの余地があれば推測でしか書けない」「これは誠実な書き方だ」と言いながら、『サピオ』平成22年3月10号70頁では、『週刊文春』の匿名発言、しかも、秋篠宮の発言に対する推測と、何の根拠も示していない「陛下の慎重な姿勢」という指摘を唯一の根拠として、「天皇陛下は、旧宮家の皇族復帰には慎重!つまり賛成しておられないのだ!」と「断定!」「断定!」「断定!」しています(私の質問は『正論』平成22年6月号158-159頁)。
 八木秀次氏の発言に対しては、「わしはこのような確実な証拠を示さずに書かれた説を信用しない」(『サピオ』平成21年11月25日号56頁)と切り捨てておきながら、こんなことを言っていいんですか、という私の質問には何ら答えていません。

 この『週刊文春』の記事には、どう見たって、「0.001%」以上の「疑いの余地」はあるでしょう。「誠実」に書いてほしいですね。
 素人じゃなんだから、「推測」と「断定」の書き方の違いくらい分かるよね。他人と自分でダブル・スタンダードはだめだよ。

②.第二に、「根拠がいくつも提示できる時は推測で書く」と言っていますが、その「根拠」というのが、すべて他人がしている「推測」で、それについて自分で「裏を取る」ということは全くしていません。
 にもかかわらず、「推測」している人々が「宮内庁や長年皇室を見続けてきたジャーナリスト」たちであるということ、彼らの見解が「一致している」ということだけを根拠にして、「天皇陛下と皇太子、秋篠宮両殿下が女性宮家の創設、ひいては女系天皇を認める方向であるとしか思えない」(『サピオ』平成22年3月10号71頁)と決めつけているのです。
 このように「推測」している人々の権威と数だけに基づいて引き出された結論を、「根拠のある推測」と見なすことはできません。学者としての誇りがあるからこそできないのです。学問的に言えば、小林さんの議論は、やはり「憶測」の域を出ていません。

 よしりん、学問ていうのは、君が思っているよりもずっと厳密で厳しいものなんだよ。

以上、①と②により、

「こ~かく」推測して、よかですか?
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by nitta_hitoshi | 2010-05-28 08:30 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

4.話をすり替えて逃げたら降格!

つづき。

 小林さんは「皇統問題の核心を語る」の中で、「難癖の② 宮内庁批判してたくせに羽毛田長官を信用するの~?」への答えとして「宮内庁に一応釘を刺しておくという思いで書いた」と言い訳していますが、これも答えになっていませんね。

 小林さんは、今上陛下の御真意が“旧宮家の皇族復帰には不賛成で、女系天皇を認める方向である”と推測する根拠として、羽毛田長官の発言を挙げ、「わしは羽毛田長官が陛下のご意向に反する発言や行動をするとは全然思えない」(『サピオ』平成22年4月14・21日号62頁)と書いていました。

 そこで、羽毛田長官は天皇陛下の御意向に反する言動はしないと、小林さんが本当に信じているのかどうかを確認するために、彼が『天皇論』で批判していた宮内庁による「祭祀破壊」(100頁)を取り上げて、“あれは羽毛田長官の下で行われたものですが、天皇陛下の御意向に沿ったものだったのでしょうか”と質問したわけです。

 小林さんのいう「祭祀破壊」が天皇陛下の御意向に沿ったものだったとしたら、小林さんは陛下の御意向に逆らって、祭祀の維持を主張したことになります。逆に、「祭祀破壊」が天皇陛下の御意向に沿ったものではなかったとしたら、「羽毛田長官が天皇陛下の御意向に反することはない」という小林さんの主張が「ウソ」になります。

 さあ、よしりん、どっちなのか答えてください!

 できないと、降格ですよ!

「こ~かく」推測して、よかですか?

ちなみに、『天皇論』を書いた時は、本当に「釘を刺すだけ」のつもりだったのでしょうか?
それって、後から考えた言い訳じゃありませんか?
本当は心臓を刺すつもりだったのでは?
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by nitta_hitoshi | 2010-05-27 06:36 | 小林よしのりさん批判

お知らせ

昨晩放送されたチャンネル桜で、小林さんがいうところの「男系主義者が逃げまくる三つの質問」に答えていますのでご覧ください。
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by nitta_hitoshi | 2010-05-26 05:50 | お知らせ
ゴーマニスト「降格」準則

4.話をすり替えて逃げたら降格!

 小林さんは「皇統問題の核心を語る」の中で、私の9つの「難癖」を「完全論破」するとおっしゃいましたが、そのほとんどは「ずらしの手法」「すり替え」による“逃げ”になっています。

 たとえば、私が『正論』6月号の156-157頁で、『天皇論』の365-366頁、368頁、370頁を引用して、「靖国、憲法、国旗・国歌については、天皇のお考えに反してもかまわないのに、何故、皇位継承についてだけは陛下の御意思に絶対服従でなければならないのか?」と質したのに対して、わしのは「個人崇拝」ではなく、「公人敬愛」である、などと訳の分からないことを言っています。

 わたしが天皇のその時々の御判断に対する臣下の順逆の問題を問うているのに、小林さんは天皇に対する敬意の在り方へと話をすりかえてしまっているのです。

 あらためて伺いますが「承詔必謹」が日本の国体だと言う小林さんが、「もし天皇が、憲法改正反対を明言なさったら、わしは逆賊になる!」(366頁)、「わしは天皇の御言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していことうと思っている」(370)と言える根拠は何ですか、教えて下さい。

 ちなみに、よしりん! 「詔」って何だか知ってる? お言葉、聖断、詔は同じなの、違うの? 説明してください。

 できなゃ、降格だよ!

「こ~かく」推測して、よかですか?
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by nitta_hitoshi | 2010-05-25 06:11 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

3.よしりん企画が疑似家族サティアン化、スタッフが信徒化したら降格!

 私がチャンネル桜で、よしりん企画のサティアン化、スタッフの信徒化、という表現を使ったら、随分、視聴者の関心を引いたようです。

 そう感じたのは、『サピオ』の4月14・21日号の74頁で、秘書のみなちゃんが「女の敵!」と言っているのを見た時でした。
「今時の20代の女性がこんな言葉を使うだろうか?」
「ナウい」「パンチのきいた表現」
すでに死語となっているかつての流行語を聞いた時のような違和感を覚えました。
「先生、そんな言葉を今の子は使いませんよ」と彼女は言えなかったのでしょうか?

 同じことは「皇室問題の核心を語る」で、トッキーさんの指人形を見た時にも感じました。私は思わず「えぇ~、なんだこりぁ。30年前のNHKかよ」と口走ってしまいました。

 ところが、秘書みなぼんはブログで
「これがすごす、すごい! みんなこの手法には絶対驚いちゃいますよ」
「心配なのは、映像が楽しすぎて、話の内容が頭に入らないんじゃないかということです!」
と書いています。

 あの映像を見て、これが現代の若い女性の素直な感想だとはとても思えませんでした。まあ、たしかに、わたしの演出もセンスがいいとはいえないでしょうが、指人形とは、あまりにも時代錯誤じゃありませんか。それを「楽しい」と持ち上げざるをえない空気の支配があるのではないか。

スタッフがノーと言えない「よしりん企画」

そんな言葉が頭をかすめたので、よしりん企画が疑似家族サティアン化、スタッフが信徒化していると「推測」します。

追伸
 ネタが細かくてすみません。
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by nitta_hitoshi | 2010-05-24 06:27 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

2.似顔絵がヘタになったら降格

 小林さん批判に私が似顔絵を使っているのには理由があります。もちろん、遊びの要素もあるのですが、真面目な理由もしっかりとあります。それは、彼の似顔絵の描き方と話の展開の仕方との間に大きな共通性があり、それが彼の最近のマンガの本質的な問題点でもあると感じているからです。その共通性、問題点は何かと言えば「作意」です。

 彼の描く似顔絵には一定のパターンがあります。それは自分が肯定する人物には「いけめん、知的、さわやか」という印象を付与し、否定する人物は「不細工、あほ、悪人」という印象を付与するということです。
 その手法が、その人物の内面に実際にあるものを正しく写し取って、拡大してみせているのならいいのですが、最近では、どうもそうではなくて、その人物の本質から離れて、小林さんが読者に刷り込みたいと思っている印象を混ぜ合わせて描くという方向に変質してきているように思います。
 そのために、似ていない絵が増えていると感じます。例えば、高森さんなどは、いい人に描こうとする余り、彼の目の鋭さとか、得体の知れなさを描けず、誰だか分からない絵になっています。

 私の親しい友人たちは、異口同音に、小林さんの絵よりも、私が使っている似顔絵の方が私に似ているといいます。私の仕草や表情だけでなく、性格まで写し取っているというのです。
 おそらく、この差は、書き手の技量の差ではなく、描く時の姿勢の違いに由来しているのでしょう。素直に相手の本質を理解してそれを描こうとするか、それとも印象操作の道具に使おうとするのかの差だと思うのです。

 似顔絵による印象操作の手法は、同時に、彼の最近のマンガでの話の展開の仕方そのものの手法でもあるように思います。つまり、真実をありのままに見て、それを伝えようとするのではなく、自分が読者に刷り込みたい印象に合わせて加工する。相手をよく理解した上での内在的な批判を行うのではなく、読者の拒否感を煽るような表面的なレッテル張り(例えば、原理主義者、カルト、運動家など)を繰り返す。こういった手法です。

 私がマンガで対抗した真意は、この手法の持つ本質的な問題点を浮かびあがらせたいというところにありました。

 小林さんが描く最近の私の似顔絵は「崖の上のポニョ」みたいになってきていますが、さて
 印象操作の手法で、もっと似ている絵を描けるかな? よしりん! 
 できなきゃ、降格だよ!

追伸

「皇室問題の核心を語る」で、トッキーさんの指人形がもっていた私の似顔絵の似顔絵は誰が書いたのでしょうか。私をおちょくるためにわざとヘタに描いたのならいいのですが、本気で書いて、あの程度ということはないでしょうね。トッキーさんは、余り絵が上手ではないので情報屋をやっているという話もあるようですが、本当でしょうか?
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by nitta_hitoshi | 2010-05-23 15:12 | 小林よしのりさん批判
ゴーマニスト「降格」準則

1.権威のポチになったら降格

 ゴーマニストは、専門家と称する人々の胡散臭さを、徒手空拳、曇り無い目で、証拠と論理だけを頼りに追求することを使命としています。したがって、権威あるものによりかかり、それを楯にしたり、自らの正当化に利用するようになったらお仕舞いです。

 ところが、最近の小林さんの議論では、天皇の御意志、神話、神宮、専門家といった権威を持ち出して、楯にしたり、自らの議論の権威づけに利用したり、論争相手に圧力をかけたりする姿勢が顕著になってきました。

 例えば、『サピオ』平成22年3月10日号の60-61頁では「専門家」という言葉が、この2頁だけで5回も登場し、専門家からの「お墨付き」を自らの議論の正当化に持ち出しています。これは、ゴーマニストとしては堕落以外の何者でもありません。

 したがって、「権威のポチ」になったと「推測」します。
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by nitta_hitoshi | 2010-05-22 17:08 | 小林よしのりさん批判