新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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漫画家の小林よしのり氏が「専門家」と讃える高森明勅氏による神話解釈を根拠にして、「神話上、天皇を女系と断定することはできないのではないか」と『国民新聞』(平成22年1月25日)に書いたら、「やっぱり素人である」と「爆笑」されてしまいました(『サピオ』2010年3月10日号)。
今回は、その素人の爆笑ものの文を掲載します。

神話上、天皇は女系だったのか

 女系天皇是か非かという議論に関心を持つようになってから、ずっと心に引っかかっていたことがあった。それは「皇祖天照大神は女性なのだから、天皇は本来女系だったと考えられる」という議論である。これはスサノオノミコトとの「うけひ」の際に誕生されたアメノオシホミミノミコト以下の男性神を「吾子(児)」だとした天照大神の言葉に依拠している。しかし、この大神の言葉が、アメノオシホミミノミコト以下の男性神は「自ら産んだ子である」との意味であり、古代の人々もそのような意味で解釈していたのだとしたら、どうして、歴代天皇は一貫して男系で継承されてきたのだろうか。何故、直系の男子が絶えた際に、かなりの無理をしてまで遠い傍系の男子を求める努力がなされたのだろうか。これでは、神話の尊重どころか、皇統・皇位にかかわる最重要の神話を、一貫して、時には強引に、無視ないし否定してきたことになってしまう。

 その答えらしきものに最近ようやく出会った。それは、あの場面については「姉の天照大神が弟のスサノオノミコトの子供を養子にしたことで皇統ははじまった」と古来解釈されてきたのではなかったかということである。そう気づいたのは、平成二十五年に行われる第六十二回神宮式年遷宮の記念事業として進められている『増補大神宮叢書』刊行事業に加わって、明治六年に神宮で刊行された『神典採要』を読んだからだった。この書物は、当時、神宮の少宮司を務めていた浦田長民という人物が『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』などに基づいて神代から神武天皇の即位までを概説したものである。

 その中で浦田は、先ず、スサノオノミコトが「弟如し禍心を包蔵すれば、則ち生れる所必ず女ならん。否らざれば則ち男ならん」と約して「うけひ」に臨み、まず、天照大神がスサノオノミコトの身につけていた十握剣を噛み砕いて三女神を産み、続いて、スサノオノミコトが天照大神の身につけていた八阪瓊五百箇御統玉を噛み砕いて五男神を産んだとする。そして、「是に至て、天祖〈天照大神〉、方に其の他無きを知る。勅して曰く。玉は是れ朕が物なり。故に彼の五男は皆朕が児なり。取りて子養す。又曰く。剣は是れ卿が物なり。三女の如きは則ち卿の子なり。之を素戔嗚尊に授く。素戔嗚尊、既に勝験を得て、驕心復た生ず。」と説明している。つまり、スサノオノミコトには悪心がなかったので男子が誕生し、その結果を天照大神は認めた上で、スサノオノミコトの子供たちを養子にし、「うけひ」に勝ったスサノオノミコトは驕ってしまって、それが次の乱暴の原因になったと書いているのである。

 ここで私が言いたいことはただ一つ。少なくとも明治六年の時点では(旧皇室典範発布の十六年前)、天照大神を祀る神宮の少宮司が、“アメノオシホミミノミコト以下の男性神は直接的にはスサノオノミコトの子供であり、それを天照大神が養子にされた”と書いたということである。

 この浦田の著作だけを証拠として、皇統は傍系の養子からはじまったとの解釈が古来一般的であったとまでは断定できないかもしれない。しかし、そう考えれば、その後の人代の皇位継承の歴史が納得いくものになるのもまた事実である。

 この私の考えを補強してくれる書物として、高森明勅氏の著書『はじめて読む「日本の神話』(展転社、平成十二年)を挙げることができる。高森氏によれば、天照大神は当初は未熟・未完成な「できそこない」であったので、高天原に昇ってきた弟の心情を理解できず、あまつさえ、根強い不信感から「うけひ」のルールを後から変更して、「スサノオノミコトが生んだ五男神は私の持ち物から出現したから私の子」だと宣言し、潔白だったスサノオノミコトの怒りをかってしまったのだという。この解説の中で、高森氏は「スサノオノミコトが大神から渡された八坂瓊五百箇御統をやはり聖なる井戸で振りすすぎ、がりがり噛んで正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊をはじめとする五男神を化生します。『正哉吾勝勝速日』(『紀』の表現。『記』では正勝吾勝・・・)というのは、ウケヒにおける勝利、つまり今の場合、スサノオノミコトの潔白が証明されたことを表現するものです」と書いている。つまり、本来五男神はスサノオノミコトの子供達であったのに、それを天照大神が急に自分の子であると言い出して養子にしてしまった、と言うのである。

 ここに挙げた浦田、高森両氏の議論だけで、アメノオシホミミノミコト以下の男性神は直接的にはスサノオノミコトの御子孫であった、あるいは、そのように古来から信じられてきた、と断定するのは無理かもしれない。しかし、このような議論が存在する以上、何のためらいもなく、「皇祖天照大神は女性なのだから、天皇は本来女系だったと考えられる」とは言えない。逆に、五男神がスサノオノミコトの直接の子孫だとしたら、むしろ、傍系による男系継承の正統性を示唆する神話となりえる。そして、少なくとも、五男神はスサノオノミコトを直接の祖とする男系の神々だと古来理解されてきたと考える方が歴史事実と矛盾しないことだけは確かだろう。
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by nitta_hitoshi | 2010-02-19 00:15 | 小林よしのりさん批判
『日本の息吹』(平成22年2月号)

 平成十八年九月六日、悠仁親王殿下がご誕生になられた。この年は、年始早々、「皇室典範に関する有識者会議」の報告書に基づいて、「女性・女系天皇の容認」「長子優先」を骨子とする皇室典範改正案が国会に上程され、そのままであれば可決成立するはずだった。ところが、二月七日、突如、紀子殿下ご懐妊が報じられ、上程は中止。さらに悠仁殿下のご誕生によって法案はお蔵入りとなった。

 その直後、扶桑社発行の季刊誌『皇室』は、四回にわたって櫻井よしこ氏と大原康男氏の皇位継承問題を中心とした対談(司会・茂木貞純氏)を掲載した。本書はその連載に、櫻井・大原両氏による現時点での「皇位継承」問題の動向分析と今後の課題に関する新たな論考を加え(第一章)、さらに茂木貞純氏による「神話から現代に続く天皇の歴史」と「皇室を理解するためのQ&A」(第二章)、有識者会議の報告書の全文ならびに現・旧皇室典範などの資料集(第三章)とからなっている。

 本書の内容の特徴を大まかに言えば二つである。一つは、皇室について極めて深い造詣を有する識者による「天皇入門」の書であるということだ。皇位継承問題は天皇の本質と切り離せない。そこで、まず、天皇の本質を「政治」「文化」「宗教」という三つの方向から論じ、天皇には“日本の秩序の中心”“文化・学問の庇護者・継承者”“社会活動の実践者”“神様を祀る祭り主”といった役割があるとする。

 本書の特徴の二つ目は、もちろん、皇位継承をめぐる問題の整理とその解決策の提示である。言い換えれば、皇位の男系継承を維持することのこの上ない重要性の指摘と、その方策の提案である。示唆に富む多くの議論の中で、今回、私が改めて大切だと感じた点は、いま皇室が直面して居られる男系継承の危機は、自然発生的なものではなく、GHQの圧力による十一宮家・五十一人の方の皇籍離脱という皇室弱体化のための意図的、人工的な政策が根本原因であるということである。

 このことを踏まえ、一貫して男系を維持してこられた皇室の歴史に思いをいたせば、“心ならずも皇族たる身分を離れざるを得なかった方々の男系の御子孫の中から適切な方に皇籍を取得していただいて宮家を新たに創設していただくという宮家の拡充策”こそ、皇室典範改正の第一義でなければならないという本書の主張に違和感を抱く者はいないであろう。

 しかし、残念ながら、悠仁殿下ご誕生の後の政治情勢もあって、皇室典範には全く手がつけられていない。その間隙を縫うように、女系天皇容認論も息を吹き返しつつある。民主党政権の本質を考えれると、これは極めて危険な状況と言えよう。そうであればこそ、多くの良識ある人々に本書を手にとっていただき、深く本質を理解していただきたいと切に願う。
 
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by nitta_hitoshi | 2010-02-16 08:55 | 書評
 今日の私達はかなり単純で、軽薄な価値観や歴史認識に取り巻かれている。その一つは「成功することがこの世での最高の価値である」というものだ。これをしゃれた言葉で言えば「アメリカン・ドリーム」ということになろうか。この価値観は、一旦、失敗したり、挫折したりすると、容易に「自己否定」「自虐史観」に変わってしまう性質をもっている。要するに、「結局は失敗したんだから、すべては無駄だった、間違いだった」と。

 西郷隆盛は、つい最近まで、多くの日本人の心を捉えてきた人物なのだが、「成功が全て」という価値観に立つと、その人気の理由が理解できない。たしかに、大まかに見れば、前半生は「大成功」だったとも言えるが、後半生、特に最後は悲劇である。だから、「成功が全て」という価値観では、西郷さんに対する根強い人気の秘密は分からない。

 しかし、少し立ち止まって考えてみると、私達の先祖は「善か、悪か」「成功か、失敗か」「有効か、無効か」「有意義か、無意義か」という単純な二者択一の発想ではない、もっと深い人間観・人生観を大切にしてきていたように思う。苦難を背負い、それに耐えた人々の、「大いなる悲劇に対する共感」とでもいったらいいだろうか。

 先祖たちが好んだ我が国の英雄を思い出してみていただきたい。スサノオノミコト、ヤマトタケルノミコト、源義経、楠木正成、赤穂浪士。みんな成功と挫折、喜びと苦難を背負って生きた人物ばかりである。これらの英雄達は、人間のもつ偉大さと愚かさ、力づよさと無力さ、人生のすばらしさとむなしさを見せてくれる。まるで、人生の重苦しさや複雑さに直面できるだけの強い精神力を、歴史を学ぶ者達に要求するしているかのように。

 私は、今日の人生観や歴史観の欠点は、過去の日本人たちの人生や歴史を、まるで犯罪者の歴史ででもあるかのように描くばかりでなく、彼らの生き方を矮小化し、浅ましくて、卑しい小人たちのように描いてしまっていることにもあると思っている。しかし、実は、それは、歴史を見る側の人間の、その人自身のくだらなさや愚かしさを、過去の人物に投影しているだけにすぎない。

 自分たちの小ささやくだらなさを少し脇にどけて、素直に歴史を眺めてみるならば、我が国の歴史に登場する人物達の中には、完璧な聖人ではなかったにしろ、十分に驚くに値する巨大な人々が沢山いる。その中でも、とくに際だっているのが、西郷隆盛だと私は思っている。

 かつて皇后陛下は、読書について講演された際に「読書から人生の複雑さに耐えることを学んだ」とおっしゃった。私達も西郷さんの生き方を知ることによって、「人生の複雑さに耐える力を学べる」のではあるまいか。

西郷隆盛の一生を貫いている生き方を要約すると、“「大義名分」を重んじ、それを実現するためのには、戦いも辞さないという覚悟を固め、その上で、自分自身の面子や命にはこだわらず、捨て身で相手を説得して、戦わずして勝つことを最上とする”ということだったように思う。そして、そのようなすさまじい生き方を可能にしたのは、西郷さんに次々と襲いかかった、様々な試練だった。その試練の火の中から、西郷隆盛という豪傑の人格が磨き出されていった。

 ひるがえって、今日の私達の生き方はどうだろうか。大義名分、道徳的な正しさなどは、二の次、三の次で、まずは「戦わないことが最も大切」で、とにかく他人と対立しないことだけを心がけ、場合によって、どんな不道徳が行われていても、自己保身のために我慢する。そんな情けない生き方が、「平和主義」という美名のもとで正当化されてはいないだろうか。

 今日、日本をめぐる国際情勢は、幕末ほどではないにしろ、危うさや複雑さを増しつつある。その中で、私達はどう生きていったらいいのか。とても西郷さんの生き方をまねることなどできそうにもないが、せめて、西郷さんだっから、どう考え、行動するだろうか。それを想像することくらいはできるように、その思想と行動を学んでみることは、今の私達にとって、かなり意義のあることだと思う。
 
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by nitta_hitoshi | 2010-02-01 11:57 | 歴史随想