新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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寒気立つ現場の実態を鋭く告発(『正論』平成15年1月号掲載)

「だって、先生が『ピルを飲めば絶対大丈夫』って言ったんだもん」《親だけが知らない衝撃の実態をレポート!》とは、本書の「帯」の言葉である。この帯だけで、世が世なら発禁処分、どこかよその国ならば「有害図書」に指定されてビニールをかけられてしまいそうだ。ところが、本書の内容はいたって真面目である。『教育黒書』というタイトルから予想される通り、日本の教育現場の実態を鋭く告発したものではあるのだが、単なる暴露本ではないし、かと言ってお堅いだけの論文集でもない。というのも、そこには切なる願いと、巧みな戦略とがあるからだ。

 日本に先立つこと約三十年前、英国の教育は教職員組合の専横や反国家・自虐教育の横行により、学力低下や校内暴力の頻発といった危機に見舞われた。この時、学者・保護者・教師が立ち上がり、教育の実態を告発した本を次々に出版して、国民に教育の荒廃を訴えた。この市民運動に応えたのが一九七九年に誕生した保守党サッチャー政権で、「一九八○年教育法」の制定を手始めとして、以後次々に教育改革策を打ち出していった。編著者である八木秀次氏の序文によれば、本書刊行の意図は、「教育黒書運動」と呼ばれたこの英国の先例に倣おうとするものである。

 多彩な執筆陣による掲載論文の全容を、この小論で紹介することはとてもできないので、本書の特徴を一つだけあげれば、「ジェンダーフリー教育」批判ということになろうか。男女平等教育と性差解消教育との恐るべき違いについての蒙を啓くという意味で、八木氏と山谷えり子衆議院議員との対談は、先ず目を通すべきものだろう。

 そして、この議論の各論として、ジェンダーフリーが“家庭科教科書”に及ぼしている害毒を分析してみせたのが、八木氏の「お父さん。お母さん。ご存じですか? 男女共修『家庭科』ではこんなことが教えられている!」と、高橋史朗氏の「ファロスを矯めて国立たず」である。

 さらに、三重県公立中学校教諭・渡邊毅氏によるジェンダーフリー“性教育”の詳細な実態報告も注目に値する。「すてきなセックス、最高のふれあい」(小学校)や「性を楽しむために低用量ピルをゲットしよう」(女子高校)などと題する授業の内容は、あまりのことに、にわかには事実だと信じがたい。

 この他にも、ゆとり教育、人権教育、国旗・国歌教育、原発教育など、まだまだ多様な批判的報告がつまっている。

 今日の教育について何かしらの疑問や不満を感じながらも、学校という閉ざされた空間の外側でもどかしい思いをしてきた人々にとって、本書は大いなる助けとなることだろう。何故なら、各地における情報公開法の整備によって、本書類似の情報は一般市民にも入手可能となり、誰でも動かぬ証拠をつかめるようになってきたからだ。

 私としては、本書が一人でも多くの人の手にするところとなり、次々に類書が刊行されて、教育の危機に対する国民に認識が深まるとともに、その危機感をしっかりと受け止められる保守政治家が現れることを期待したい。この国と子供たちの未来のためにー。
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by nitta_hitoshi | 2009-09-23 17:55 | 書評
平成14年11月1日『やすくに』

自虐史観にとらわれた反「ヤスクニ」

 さらに、「基幹運動」における反「ヤスクニ」の背景には、まさに「自虐史観」と呼ぶにふさわしい「西本願寺」の歴史認識がある。平成七年の四月、「本願寺派」は宗祖親鸞を祀っている御影堂において終戦五十周年全戦没者追悼法要を行った。そのときの法話で大谷光真門主は、次のような謝罪表明を、村山内閣に先立って行っている。 「私たちの教団は、仏法の名において戦争を肯定し、あるいは賛美した歴史を持っております。たとえ、それが以前からの積み重ねの結果であるとしても、この事実から目をそらすことはできません。」 「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に協力していった過去の事実を、仏祖の御前に慚愧(ざんき)せずにはおれません。」 紙数の関係で詳しくはご紹介できないが、たしかに、戦前の真宗の戦争賛美は尋常ではなかった。それは宗教でないという理由で支那事変の勃発まで従軍がゆるされなかった神職の比ではなかったとも言える。だから、真宗が戦後的な価値観・戦争観に立つならば、門主がこのように言わなければならなかったのは無理からぬことである。

 このように見てくると、どうも今の「西本願寺」は、二つの罪意識によって雁字搦めになっているようだ。その一つは部落差別を行ってきたという事実、もう一つは近代の戦争に協力してきたという事実に由来している。この二つの罪意識に対する贖罪の思いから反神道的な左翼運動に駆り立てられているというのが、浄土真宗西本願寺派の現状らしい。そして、ふたふつの罪意識の重みに耐えかねて、その責任を「神道」になすりつけたい心理に陥っているようだ。最近になって、部落差別の原因として、「ケガレ」意識を強調する議論が現れてきて、神道的な、あるいは民族的な意識に注意を向けようとしているのも、そういうところに一つの要因があるのではないかと筆者は見ている。

 まるで、古代ヨーロッパで、フン族に圧迫されたゲルマン民族がローマ帝国になだれ込んでいったように、真宗上層部は罪意識に追い立てられて、神社神道に攻撃の矛先を向けている。つまり、自分たちの贖罪意識を満足させ、自らの反省の度合いを示す対象として、神社神道を攻撃しているというわけだ。

 自らも主体となって行ってきた部落差別という弁明の余地のない行為と、自衛・解放のために戦った大東亜戦争への評価とをごちゃ混ぜにすることは非合理も甚だしいし、まして、その責任を巧みに他者に転化しようとする態度は宗教者にあるまじき卑劣さだと思う。

 ただし、ここで認識を誤ってはならないのは、冒頭で引用した『真宗門徒と自治会』に書かれていることが事実だとすれば、末端の多くの真宗門徒は日本人としての常識的な感覚を持つ続けているということだ。ただ、それが「本願寺派」上層部の意向によって、素直に表現できず、抑圧されたり、ねじ曲げられたりしている。そうだとするならば、同じ日本人として、信仰の違いを超えて、手を差し伸べることが必要なのではないかと思う。

 なお、紙数の関係で、「基幹運動」の展開の歴史にはふれることができなかった。もう少し詳しく知りたいと思われる方は、本年十二月発刊予定の『政教関係を正す会会報』(第二十二号)に掲載予定の拙論「浄土真宗は靖國を語れるか」を御覧いただきたい。そうすれば、「基幹運動」に対して、「西本願寺」内部からも多くの疑問や批判が提出されている実態が御理解いただけると思う。(了)
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by nitta_hitoshi | 2009-09-11 12:54 | 雑誌
 読者の皆様へ
 平成19年10月以来記事を更新しておりませんでした。それは、勤務している皇學館大学で、学長補佐という役についてしまい、大学内部の業務に忙殺されている内に、ブログのIDとパスワードを忘れてしまったからです。特に、最近は定員確保が困難になった社会福祉学部を改組して、文科省から現代日本社会学部の設置認可を得るという仕事にかかりきりでした。政権交代が決まった翌日、その設置認可がおり、ひょんなことからIDとパスワードを思い出したのでブログをあけてみましたら、2年間もほったらかしだったのに、毎日訪問者がおり、知らないうちにウィクペディアにもリンクが張られていました。その方々に大変感謝するとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。そこで、再開の決心をいたした次第です。今後とも、どうかよろしくお願いします。
 新田均拝
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by nitta_hitoshi | 2009-09-10 16:29 | お知らせ