新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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論文掲載のお知らせ

7月1日発売の『正論』8月号に<「君が代不起立」教諭が停職中に「反日」講演行脚とは>という拙論が載ります。
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by nitta_hitoshi | 2007-06-28 21:59 | 日記
平成16年2月11日

《あとがき・父母の皆様へ》


 今の子供たちは非常に貧しく、歪んだ人間観、国家観の中に投げ出されています。「人間は精子と卵子の結合によって生まれたものにすぎない。国は支配者の利益のために、暴力によって造られたものにすぎない」という思想がそれです。この思想の挟み撃ちにあって、子供たちには、自分の中にも、社会にも、崇高な理想を見出すことが難しくなってしまいました。相次ぐ青少年の凶悪犯罪やモラルの低下は、その現れではないでしょうか。

 それではどうしたらいいのか。どうすれば、再び人間の中に、国家の中に、「崇高なもの」「聖なるもの」を取り戻すことができるのか。それは、没価値的な「科学の知」を離れて、それ以前の「神話の知」や「伝統の知」に帰っていくことだと思います。

 ご承知のように、この日本には、国家と国民の由来を神々とのつながりから説き起こした神話伝承が連綿として伝えられてきました。その要点は、何と言っても、この国も国民も、神々という「聖なる存在」から生まれてきたのだ、ということです。高天原という聖なる場所に神々が誕生し、そこで天照大神を中心とした天上の秩序がまず形成される。その天上の秩序を地上に移す使命を帯びて、天孫瓊瓊杵尊が高千穂に降られ、その子孫が日向地方の統治に専念する。その後に神武天皇が現れて、天上の秩序を全国的に展開すべく東征する。こうして、天照大神の子孫である天皇が、神々の子孫である国民を治めるという、天上と同じ形の聖なる国家が地上に出現する。しかし、そうなる過程では、神々も、天皇も、臣下も、様々な困難を克服したなければならなかった。

 この物語を子供たちに伝えることは、私たちの背後には「偉大な何者か」が存在するのだという感覚を与えるばかりでなく、瞬間や個人を越えた、ものを考える長さ、自分を位置づける深さ、そういった諸々の良き思想をもたらしてくれるのではないか、と思うのです。

 深く「科学の知」に囚われてしまっている我々が、そう簡単に「神話の知」や「伝統の知」に帰っていけるかどうか。楽観はできませんが、案外、子供たちの方が曇り無い目で、事の本質をつかむかも知れない。そんな期待をしつつ本書を監修いたしました。これが子供たちの「人格再建」に向けたささやかにきっかけになればと願っております。
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by nitta_hitoshi | 2007-06-19 10:16
『祖国と青年』(平成16年1月号)

 松浦光修著『いいかげんにしろ日教組』(PHP研究所/本体千八百円)が、三重県で密かなブームになりつつある。津市、上野市、伊勢市の各書店でベストテン入りし、津市では二位、上野市では十位。伊勢市では、学校を得意先としている書店だったために、先生方の怒りに配慮して、ベストテン入りしている事実を隠したそうだが、三重県教職員組合(三教組)所属の先生方の中にも読者を獲得しつつあり、「表紙が透けない袋に入れて、届けてくれ」と、こっそり注文する教師が出始めている。「密かな」と書いたのは、そういう意味で、表だって読んではいけない本として、売れているらしい。

 こうした現象を捉えてのことだろう。十一月十二日の「産経新聞」三重版が、紙面の約四分の一を割いて、写真入りで、この本が「評判を呼んでいる」と、「日教組批判評判呼ぶ」と題して報じた。このタイトルを眺めながら、私はある光景を感慨深く思い出した。

 平成十一年八月二日、私と松浦氏は、津市にある産経支局をはじめて訪ねた。この時の私たちは、新しい歴史教科書を三重県で広める運動を起こすことを決意していたものの、その最大の障害になるであろう三教組に対しては、自ら批判の最前線に立とうとまで考えていなかった。

 それには、しかるべき人がいるだろう、しかるべき組織があるだろう。それは誰だろうか? 当時、広島では産経新聞が果敢に日教組批判を展開していた。ならば、三重でも産経にやってもらおう。そう考えて、産経支局に、「三教組批判のお願い」にあがったわけである。私たちの虫のいい“お願い”を聞き終わると、当時の支局長はこう答えた。「内にも色々な読者がいますからね。三教組の先生方も含めて・・・」。要するに、教師を敵にするような記事は書けない、と断られたわけだ。

 当然、私の心は怒りで満たされたわけだが、今から思い返してみれば、それは、自ら戦い、危険を背負う覚悟のない者が、他人が代わって戦ってくれないことを怒っていたにすぎなかった。その後も何回か似たような挫折を味わい、ついに私たちは自ら立たざるを得なくなった。その後の経過は、ほぼ本書に述べられている通りである(むろん、まだ公にできない事実や、そのままには書けない経緯も多いが・・・)。そして、今や、「三教組批判」という文字が「三重版」に踊る時勢がやってきた。

 何事も自らの決意と創意工夫からしか始まらない。歴史は、そう自覚した人々によって紡がれてきたのだ。そう悟らせてくれるために、これまでの挫折と成功、失望と喜びがあったのだとしたら、神様とは随分と厳しく、手の込んだ仕掛けを用意してくれる、愛深い存在なのだ、と思う。そして、幾多の試みの中で、何とか私たちが自らの言葉を裏切らずに来れたこと、その深いみ守りに感謝せざるを得ない。本書を精読されるならば、その思いをきっと読者も共有してくださるに違いない。
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by nitta_hitoshi | 2007-06-11 08:34 | 雑誌