新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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カテゴリ:歴史随想( 3 )

 今日の私達はかなり単純で、軽薄な価値観や歴史認識に取り巻かれている。その一つは「成功することがこの世での最高の価値である」というものだ。これをしゃれた言葉で言えば「アメリカン・ドリーム」ということになろうか。この価値観は、一旦、失敗したり、挫折したりすると、容易に「自己否定」「自虐史観」に変わってしまう性質をもっている。要するに、「結局は失敗したんだから、すべては無駄だった、間違いだった」と。

 西郷隆盛は、つい最近まで、多くの日本人の心を捉えてきた人物なのだが、「成功が全て」という価値観に立つと、その人気の理由が理解できない。たしかに、大まかに見れば、前半生は「大成功」だったとも言えるが、後半生、特に最後は悲劇である。だから、「成功が全て」という価値観では、西郷さんに対する根強い人気の秘密は分からない。

 しかし、少し立ち止まって考えてみると、私達の先祖は「善か、悪か」「成功か、失敗か」「有効か、無効か」「有意義か、無意義か」という単純な二者択一の発想ではない、もっと深い人間観・人生観を大切にしてきていたように思う。苦難を背負い、それに耐えた人々の、「大いなる悲劇に対する共感」とでもいったらいいだろうか。

 先祖たちが好んだ我が国の英雄を思い出してみていただきたい。スサノオノミコト、ヤマトタケルノミコト、源義経、楠木正成、赤穂浪士。みんな成功と挫折、喜びと苦難を背負って生きた人物ばかりである。これらの英雄達は、人間のもつ偉大さと愚かさ、力づよさと無力さ、人生のすばらしさとむなしさを見せてくれる。まるで、人生の重苦しさや複雑さに直面できるだけの強い精神力を、歴史を学ぶ者達に要求するしているかのように。

 私は、今日の人生観や歴史観の欠点は、過去の日本人たちの人生や歴史を、まるで犯罪者の歴史ででもあるかのように描くばかりでなく、彼らの生き方を矮小化し、浅ましくて、卑しい小人たちのように描いてしまっていることにもあると思っている。しかし、実は、それは、歴史を見る側の人間の、その人自身のくだらなさや愚かしさを、過去の人物に投影しているだけにすぎない。

 自分たちの小ささやくだらなさを少し脇にどけて、素直に歴史を眺めてみるならば、我が国の歴史に登場する人物達の中には、完璧な聖人ではなかったにしろ、十分に驚くに値する巨大な人々が沢山いる。その中でも、とくに際だっているのが、西郷隆盛だと私は思っている。

 かつて皇后陛下は、読書について講演された際に「読書から人生の複雑さに耐えることを学んだ」とおっしゃった。私達も西郷さんの生き方を知ることによって、「人生の複雑さに耐える力を学べる」のではあるまいか。

西郷隆盛の一生を貫いている生き方を要約すると、“「大義名分」を重んじ、それを実現するためのには、戦いも辞さないという覚悟を固め、その上で、自分自身の面子や命にはこだわらず、捨て身で相手を説得して、戦わずして勝つことを最上とする”ということだったように思う。そして、そのようなすさまじい生き方を可能にしたのは、西郷さんに次々と襲いかかった、様々な試練だった。その試練の火の中から、西郷隆盛という豪傑の人格が磨き出されていった。

 ひるがえって、今日の私達の生き方はどうだろうか。大義名分、道徳的な正しさなどは、二の次、三の次で、まずは「戦わないことが最も大切」で、とにかく他人と対立しないことだけを心がけ、場合によって、どんな不道徳が行われていても、自己保身のために我慢する。そんな情けない生き方が、「平和主義」という美名のもとで正当化されてはいないだろうか。

 今日、日本をめぐる国際情勢は、幕末ほどではないにしろ、危うさや複雑さを増しつつある。その中で、私達はどう生きていったらいいのか。とても西郷さんの生き方をまねることなどできそうにもないが、せめて、西郷さんだっから、どう考え、行動するだろうか。それを想像することくらいはできるように、その思想と行動を学んでみることは、今の私達にとって、かなり意義のあることだと思う。
 
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by nitta_hitoshi | 2010-02-01 11:57 | 歴史随想
 『日本書紀』正文の記事にしたがって、日本の国土の誕生から神武天皇の即位にいたる神話伝承の粗筋を述べれば以下のようである。

一、まず天と地が分かれ、クニノトコタチノ尊からイザナギノ尊・イザナミノ尊まで、神代七世と言われる神々が誕生する。次ぎに、イザナギノ尊・イザナミノ尊が日本列島の島々と木の神や草の神をお生みになる。

二、イザナギ・イザナミの二神は日本の国を治める者を生もうとされるが失敗する。最初に生まれたアマテラス大神と、次ぎに生まれたツクヨミノ尊は素晴らしすぎて「天上」の支配者となり、次ぎに生まれた蛭児は脚が立たなかったために放棄され、次ぎに生まれたスサノオノ尊は乱暴すぎて「根国」へ追われる。

三、スサノオノ尊が高天原にやってきて、アマテラス大神と誓約(うけい)をされたことによって、オシホミミノ尊が生まれ皇統が開かれた。ところが、その後のスサノオノ尊の乱暴によって、高天原は混乱に陥り、アマテラス大神は天石窟に隠れてしまう。しかし、様々な神々の活躍によって、アマテラス大神は再び天石窟から出現し、天上の秩序が回復される。

四、高天原の秩序が整って後、オシホミミノ尊とタクハタチヂ姫(タカミムスビノ尊の娘)との間にニニギノ尊が誕生し、統治者として地上に降されることになる。しかし、地上のには邪神が横行していたために、まず臣下の神々が平定のために使わされ、何回かの失敗の後に、ようやくオオナムチノ神(大国主神)の国譲りによって、ニニギノ尊の天孫降臨が実現する。

 五、ニニギノ尊が日向の高千穂峰に降臨して後、その子のヒコホホデミノ尊、またその子のウガヤフキアヘズノ尊と、三代にわたって日向の地を治められる。そして、またその子のカンヤマトイワレビコノ尊(神武天皇)の代になって、日本の統治を命ぜられたタカミムスビノ尊とアマテラス大神のご命令に応えるために、日本の中心地へ進出することを決意し、様々な困難を克服して大和を平定し、都を築き、第一代の天皇として即位される。

 シナの歴史書と違い、日本の『古事記』『日本書紀』は、以上のような神話伝承を冒頭においている。このことの意義は何だろう。
 『日韓併合への道』(文春新書)の中で呉善花さんは、朝鮮近代化の遅れを決定的なものにした要因として、自分の一族(宗族)の繁栄だけを願う「外戚勢道政治」の横行を挙げ、「自分の属す宗族の繁栄に尽くすことこそが最大の徳目、祖先への孝だったからである」と書いている。つまり、朝鮮においては、祖先への孝は国家(あるいは王室)への忠とはつながっておらず、極論すれば、一族の繁栄のために国家(あるいは王室)を犠牲にしたとしても、それは祖先に対する不孝にはならない、ということであったようだ。この文を読んで私は、神話伝承を歴史記述の冒頭においた古代日本人の英知とその恩恵の深さとに思いを致さないわけにはいかなかった。

日本の神話伝承の基本構造を一言で言えば、それは「忠孝一致」ということになる。神話には様々な神々が、伝承には様々な豪族が登場するが、色々な出来事を経て、結局、天上には天照大神を中心とする秩序が整い、地上にはその反映として、天皇を中心とした秩序が整うという物語になっている。その際、神々や豪族は天皇の臣下、協力者、帰順者として描かれている。このような先祖物語を尊重し、継承してきたことの意義は大きい。すでに先祖が天皇を中心とした物語の秩序に組み込まれてしまっている以上、どの豪族にとっても、自分の一族の利益さえ追求すればそれだけで先祖に孝を尽くしたことなる、とは言えない構造が出来上がってしまったていたからである。

 たとえば、藤原氏の先祖である天児屋命は、天照大神が天石窟に隠れられた時には、天石窟の前でその御出現を祈り、天孫降臨の際には、高皇産霊尊からは皇孫のための祭祀を、天照大神からは神鏡の防護を、それぞれ命じられている。したがって、藤原氏にとって、一族の繁栄のみを追求して、国家皇室の繁栄を無視するなどということは、決して先祖に対する「孝」とはなり得なかった。古代においては一族というのは最も強力な私的関係であったと思われるが、それをも超える価値として、天皇を中心とした公的秩序を描き出すことにより日本神話は歴史に重大な影響を与えることになったのだと、私は考えている。
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by nitta_hitoshi | 2007-01-07 11:05 | 歴史随想
(『祖国と青年』平成11年12月号)


明治維新が多くの志士達の活躍によって成就したものであることを知る人は多い。けれども、それでは孝明天皇はどのようや役割をはたされたのか、と聞かれて即座に答えられる人はそう多くないのではあるまいか。むしろ、孝明天皇は幕府を支持され、討幕運動にとってはむしろ障害であった、となんとなく考えている人が大部分なのではあるまいか。

 このような認識の誤りを正すために、孝明天皇を中心に据えた「歴史体験セミナー」がこれまで二回開かれた。一つは、平成三年十一月に石清水八幡宮を会場として開催された「孝明天皇と明治維新」と題するセミナーであり、もう一つが本年十月に同じく石清水八幡宮で開催された「孝明天皇の祈りと明治の新しい国づくり」と題するセミナーである。
 この二回のセミナーを通じて確認された、幕末における孝明天皇の御存在の意義をまとめてみると次のようになるであろう。

 ①.本来、武力によって日本を守ることを使命とする幕府が、断固たる意思を欠いて状況判断に流され、ひたすら戦いを避けるために、妥協に次ぐ妥協(日米和親条約・日米通商航海条約)を繰り返していった時に、「邪悪なものは打ち払うべし」、すなわち「守るべきものを守るためには“戦い”も辞さず」というお立場から、この状態に待ったをかけられた。
②.この孝明天皇の御姿勢が心有る人々を感激させ、彼らに行動の拠り所を与えた。さらに言えば、明治維新、日清・日露戦争、大東亜戦争の底を流れる抵抗精神に正当性と現実的な根拠が与えられた。
③.ひたすら天下の安泰と国家の統合を願われる天皇の御姿勢が、立場の違いを越えて、憂国の士を励まし、彼らをまとめあげた。

 以上は、「孝明天皇」という具体的な御存在が果たされた役割だが、それと同等、あるいはそれ以上に大切なこととして考えておかなければならないことは、天皇という御存在そのものの幕末における意義である。
 それを理解するためには、明治維新とは何だったのか、ということを明らかにしなければならない。もちろん、明治維新の意味はいろいろに論じられようが、最大の意義の一つは「国民を生み出した」ということである。「国民」とは、地域や身分の違いを越えて、あるいは解消して、自分たちを仲間だと感じ、自分たちが国を支えているという自覚をもった人々の集団のことである。

 欧米列強の脅威に対抗するためには、「国民」の存在が是非とも必要であったが、幕藩体制下の日本においては、そのような「国民意識」はごく一部の人々がもっていたにすぎなかった。多くの人々は藩を「国」と感じ、身分に応じて自分たちの義務が異なることを当然だと考えていた。

 このような状態であっても、幕府が対外的に強力であれば問題はなかった。しかし、幕府一人では日本を守り切れないとなれば、まして、日本全体の国力が欧米に比べて圧倒的に劣っているとなれば、話しは別である。日本に住む総ての人々が「国民の自覚」を持ってくれなければ国の独立は保てない。

封建制度の下で、三百年近くも、地域ごとに、身分ごとにバラバラにされていた人々。このような人々に、自分たちはすべて仲間なのだ、日本という共同体に対して責任があるのだと感じさせられるものは何か、また誰なのか。幕末における諸政策の対立や、諸勢力の対決は、この問いを実に深刻で本質的なものして、当時の憂国の士たちにつきつけた。

 その答えこそ天皇であった。古代統一国家「日本」の歴史的な記憶を、皇位の継続によって現在に伝え、蘇らせる可能性をもった存在は、天皇以外にはなかった。今日では、天皇の存在にあまり肯定的でない研究者でも次のように述べるまでになっている。
「明治維新の政治家・官僚にとって、天皇は国権確立の手段だったとはいえ、それは選択の余地のない唯一無二の手段であった。」(鈴木正幸『皇室制度』岩波新書、一四頁)

 最後に一言付け加えるなら、今日の海外における民族対立による地域紛争の激化は、国民意識の重要性が決して過去のものではないことを我々に教えている。
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by nitta_hitoshi | 2006-10-03 19:30 | 歴史随想