新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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「ゴー宣言ネット道場」の【提言 女性宮家創設は皇統維新である】の19分50秒あたりで、小林さんは「保守派は、天皇陛下が女系公認なら、その考えは間違っていると思っている。今の天皇陛下のことなんか全然考えてないわけですよ。」と言い、高森さんは「二千年を貫く伝統を守ることこそ大御心であって、今の天皇陛下がどう考えておられるかということは二の次三の次だという言い方。これがおかしいのは、その伝統を解釈するのは俺だと言っているわけです。それと違うことを言うのは、天皇のお気持ちであろうが何であろうが余所においとけというわけで、こういうとんでもない話をしているわけですから、これが私は一番許し難い」と言っています。

ところが、高森さんが「チェック」した『天皇論』(平成21年6月)で、小林さんは「もし天皇が、憲法改正反対を明言なさったら、わしは逆賊になる!」(366頁)と書いています。また、国旗・国歌について今上陛下が「やはり、強制でないことが、望ましいですね」(368頁)とおっしゃったことを受けて、「わしは天皇の御言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していこうと思っている」(370頁)とも書いています。

さてそこで、例によって高森さんへの質問です。

①天皇陛下の御意志にも、従うべきものとそうでないものとがあるのでしょうか。あるとしたら、それは誰が決めるのでしょうか。小林さんですか、高森さんですか。

②天皇陛下の御意志にすべて従わなければならないとたら、『天皇論』(平成21年6月)は「今の天皇陛下がどう考えておられるかということは二の次三の次だという言い方」で、「伝統を解釈するのは俺だと言っているわけです。天皇のお気持ちであろうが何であろうが余所においとけというわけで、こういうとんでもない話をしているわけですから、これが私は一番許し難い」不敬の書ということになりませんか。「チェック」した者として、その責任をどうとられるおつもりですか。

③「「二千年を貫く伝統を守ることこそ大御心であって、今の天皇陛下がどう考えておられるかということは二の次三の次だという言い方。これがおかしい」との主張は、皇位継承問題については、今上陛下のお考えと自分たちの考えが一致していると思っているから言っているだけの便宜的・ご都合主義的な主張なのではありませんか。

④「君臣の分義」を厳かに守る立場から、「勅」を「明」らかにするなどという尊大な名前を取り下げられる気はありませんか。
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by nitta_hitoshi | 2012-05-08 22:12
 前回のブログを読んでいただければ、「天照大神は女性なのだから女系天皇があらわれてもかまわない」という主張に対して、今年の1月までに、どこまで議論が進んでいたのか、御理解いただけたと思います。

 ということは、小林さんが『サピオ』4月21号66頁で「『天皇論』のこの一言は、彼らの主張にとっては致命傷にもなりかねない」と書いたのが、如何に頓珍漢な物言いだったかということもお分かりいただけたと思います。

 私は致命傷になりかねないから反論したのではなく、すでにどんな批判を受けているのかも知らないで旧説を振り回している人がいたので、その不見識を指摘したにすぎません。

 小林さんは『サピオ』平成21年11月25日号57頁欄外で「男系絶対主義は100%間違っているから、これから毎回証明していこう」「わしをなめてもらっては困る。全部読んでいる。男系絶対派も女系・双系容認派の論文や本も全部入手している」と書いていましたが、これは単なるハッタリで、本当は、議論の展開の筋道を殆ど理解してしなかったようです。
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by nitta_hitoshi | 2010-09-25 20:37
ゴーマニスト「降格」準則

32.ペテンの論法で読者を欺こうとしたら降格! つつぎ

 シナ男系絶対主義者=クレムリン小林さんは、「そもそも一夫一婦制で男系が維持できるのなら、こんな問題になってないよ!」(『サピオ』平成22年7月14日57頁)と言っていますが、今日の事態をもたらした元凶が全く分かっていないのだな、と思います。もしも占領政策による11宮家の臣籍降下がなければ、今日でもいまだに皇族には多くの男子がおられることになり、何の問題にもならなかったはずなのです。
 知ってか、知らずか、小林さんは占領政策の固定化、永続化に手を貸しているわけです。

○単なる「つぶやき」
『Will』平成22年9月号の表紙のタイトルは「本家ゴー宣 愛子様皇太子論」となっていて、中の「男系主義がカルトである証明」とは違っていましたが、このタイトルで小林さんは異存なかったわけですよね。
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by nitta_hitoshi | 2010-07-29 07:24
ごーまんかまさせていただきます。

⑥.「わしは天皇の御言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していこうと思っている」(『天皇論』370頁)という記述は、自ら高唱する「承詔必謹」に明確に反していますので『天皇論』のリコールを求めます。
 これを誠実に実行できるかどうかで、小林さんの「承詔必謹」が本物か、偽物か、つまみ食いか、面従腹背か、確認できることでしょう。

 ここで、私が『天皇論』のリコール(回収・訂正・再配布)を求めている理由を説明しておきます。理由は二つあります。

1.『天皇論』は良い本だと思っているから。 
この本は、多くの先人が積み重ねてきた努力の成果を慎重に組み合わせたもので、基本的には非常によい本です。したがって、単に回収するのではなくて、再配布していただきたいと思っているわけです。

2.商売にも倫理が必要だと思っているから。
 小林さんは、男系維持派の人々に「腹を切れ」とか、「南朝を立てろ」などと言って、強く責任を求めています。ならば、自分が強調する「承詔必謹」に、自分自身が反してしまった場合には責任をとるのが当然です。しかも、私は命を差し出せとか、内乱を起こせなどという無茶なことを要求しているわけではありません。ただ、不良(不敬?)品・欠陥品は回収・修理して、無料で再配布するという極当たり前の商業道徳を求めているにすぎません。
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by nitta_hitoshi | 2010-06-30 06:35

聖徳太子と公務員

『講友』第149号 平成21年9月1日


 「公務員の産みの親は聖徳太子です」。オープン・キャンパスの模擬講義で、私はそう言いました。
 オープン・キャンパスというのは、高校生に大学の施設・授業・行事などを見てもらって、「この大学に入りたい」という気になってもらうためのもので、今や全国の大学で夏の恒例行事になっています。その行事で、私は来年4月に開設される「現代日本社会学部」の模擬講義を担当したわけです。

 「現代日本社会学部」は、名張市にある社会福祉学部を伊勢市に改組集約してできるもので、日本の伝統文化と公徳心を身につけ、社会の様々な問題に主体的に取り組める能力を備えた、幅広い職業人を養成することを目的としています。「政治経済」「現代社会」「福祉計画」「伝統文化」という四つの学びの分野があるのですが、どの分野でも重視している職種が「全体の奉仕者」(憲法15条)たる公務員です。

 近年、公務員の不祥事が相次いでおり、国民の公務員に対する信頼感が揺らいでいます。それにも関わらず、何故、公務員を重視するのか。「安定しているから」ではありません。「公徳心」が最も強く要求され、だからこそ、この学部の教育理念に相応しい職種だと考えたからです。

 それでは、個人的利益を度外視した全体の奉仕者としての「公務員」という職種を、この国ではじめて考え、実際に導入したのは誰だったのか。そういう観点で歴史を遡っていくと、聖徳太子に行き着きます。

 彼が603年に定めた冠位十二階は、家柄ではなく、能力を基準にしたという点で、日本初の公務員制度であり、604年制定の十七条憲法は、公務員の使命と心得を明示した日本で最初の公務員法です。これを逆に言えば、公務員が仕えるべき、個人の利害を超えた「国家」「公」という存在も、この時に同時に生まれたと言えるわけです。それが言い過ぎならば、それまで国家がこの時に大きく変質したわけです。だから、十七条憲法では「国家」や「公」という言葉が多くに使われているわけです。

 十七条憲法は今から1600年以上も前に、公務員とは如何にあるべきかを説いた文書であり、法なのですが、現代日本で、そこに書かれていることを実践できている公務員は多くないでしょう。だから、学生たちに、原点を知り、その意義を理解して、今後の人生の道しるべとしてほしいと考えています。

 
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by nitta_hitoshi | 2009-10-07 10:50

お知らせ

拙著『「現人神」「国家神道」という幻想』(PHP)は絶版となりましたが、三重県伊勢市の古川書店(℡ 0596-25-5666)にはまだ在庫があります。ご希望の方は、この書店でお求め下さい。
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by nitta_hitoshi | 2007-08-18 08:25
平成16年2月11日

《あとがき・父母の皆様へ》


 今の子供たちは非常に貧しく、歪んだ人間観、国家観の中に投げ出されています。「人間は精子と卵子の結合によって生まれたものにすぎない。国は支配者の利益のために、暴力によって造られたものにすぎない」という思想がそれです。この思想の挟み撃ちにあって、子供たちには、自分の中にも、社会にも、崇高な理想を見出すことが難しくなってしまいました。相次ぐ青少年の凶悪犯罪やモラルの低下は、その現れではないでしょうか。

 それではどうしたらいいのか。どうすれば、再び人間の中に、国家の中に、「崇高なもの」「聖なるもの」を取り戻すことができるのか。それは、没価値的な「科学の知」を離れて、それ以前の「神話の知」や「伝統の知」に帰っていくことだと思います。

 ご承知のように、この日本には、国家と国民の由来を神々とのつながりから説き起こした神話伝承が連綿として伝えられてきました。その要点は、何と言っても、この国も国民も、神々という「聖なる存在」から生まれてきたのだ、ということです。高天原という聖なる場所に神々が誕生し、そこで天照大神を中心とした天上の秩序がまず形成される。その天上の秩序を地上に移す使命を帯びて、天孫瓊瓊杵尊が高千穂に降られ、その子孫が日向地方の統治に専念する。その後に神武天皇が現れて、天上の秩序を全国的に展開すべく東征する。こうして、天照大神の子孫である天皇が、神々の子孫である国民を治めるという、天上と同じ形の聖なる国家が地上に出現する。しかし、そうなる過程では、神々も、天皇も、臣下も、様々な困難を克服したなければならなかった。

 この物語を子供たちに伝えることは、私たちの背後には「偉大な何者か」が存在するのだという感覚を与えるばかりでなく、瞬間や個人を越えた、ものを考える長さ、自分を位置づける深さ、そういった諸々の良き思想をもたらしてくれるのではないか、と思うのです。

 深く「科学の知」に囚われてしまっている我々が、そう簡単に「神話の知」や「伝統の知」に帰っていけるかどうか。楽観はできませんが、案外、子供たちの方が曇り無い目で、事の本質をつかむかも知れない。そんな期待をしつつ本書を監修いたしました。これが子供たちの「人格再建」に向けたささやかにきっかけになればと願っております。
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by nitta_hitoshi | 2007-06-19 10:16
(「ボイス・リレー」[新しい歴史教科書をつくる会ホームページ]平成16年2月3日)


 先頃行われた大学入試センター試験の問題について、私と松浦光修氏は、大学を通じてセンターに質問状を提出した。それに対する回答が、一月二十八日付けでセンターから送られてきた。私達が回答を求めた三つの問題点の内、「世界史A」「世界史B」については「お答えします」、「日本史B」と「現代社会」については「現在検討中ですので、後日回答します」というものだった。世界史についての回答内容は、予想通り“問題は妥当”とするもので、その理由は、問題は「教科書に準拠」するように、選択肢も「多くの受験生に不利益にならないように(中略)教科書を広く調査し文章を作る」ようにしており、指摘された文章も「大半の現行教科書において使われている表現」であるから問題はない、というものだった。そして、「大学入試センター試験は、あくまでも現行の高等学校教科書の記載内容を踏まえて作題し、受験生が教科書に盛られた内容をどれほど理解しているかを問うものであります」と付け加えられていた。この回答について、私が感じた問題点を三つ指摘しておきたい。

 その第一は、私達が問題にした「教育の中立性」や「思想の自由」という大問題に全く答えていないということである。そして、それを回避できる理由として、検定を通った「大半の現行教科書において使われている表現」だ、ということを挙げている。ということは、センターは、“大半の現行教科書における記載”という事実が、教育の中立性や思想の自由に優先する大原則だと考えているということになる。

第二の問題は、それほどに重要視されている“大半の現行教科書における記載”という作題原則をセンターが本当に守っているのか、ということである。具体的に言うと、未回答の日本史について言えば、「日本資本主義発達史講座」は、今回受験した高校生たちが使っている現行教科書に関する限り、「日本史B」では十九種類のうち八種類、「日本史A」では七種類のうち二種類にしか記載されていない(全国歴史教育協議会編『日本史B用語集』山川出版社)。この事実に基づいて、私が平成十四年度の採択率を調べたところ、記述のある現行教科書の採択率は全体の二五%程度に過ぎないことが分かった。つまり、世界史の問題を正当化するためにセンターが主張している「多くの受験生に不利にならない」「大半の教科書に使われている」「受験生が教科書に盛られた内容をどれほど理解しているかを問う」といった基準が、ここでは全く無視されているのである。ということは、その基準を適用すれば、まさに日本史の問題こそ「不適格」と断ぜざるを得ないのである。他方で、「大半の教科書に載っていなくてもかまわない」と主張するのであれば、世界史についての釈明は「教育の中立性」や「思想の自由」を否定できる程の絶対性を持たないことになる。つまり、世界史を正当化すれば日本史は不適当、日本史を正当化すれば世界史については言い訳にならない、ということなのである。

第三の問題は、単に世界史の六割程度の教科書に載っているということが、全国の高校生に対して基本的な学力を問う試験の問題として、ほんとうに正当性を主張する根拠になりえるのか、ということである。私の手元に、全国歴史教育協議会編『世界史B用語集』(山川出版社)という本がある。これは、作題にあたって問題の普遍妥当性を検討する際に参考とされることが多い本なのだが、その全国歴史教育協議会名の「まえがき」には、「本書では、『世界史B』教科書に記載されている用語の中から学習に必要と思われるものをもれなく収集」したとある。ところが、この本では「強制連行」という用語を取り上げていない。「学習に必要と思われるものをもれなく収集」したという文章が誇張ではなく、また、「現行の高等学校世界史教育の概観と内容を、的確かつ容易に把握できる根本資料の性格をもつものとして、各方面から注目され、大学関係者からも多くの賛辞と謝辞が寄せられており」という表現が誇大広告でないとすれば、センターは、多くの歴史教育者が必ずしも高校生の“学習に必要だとは考えていない用語”を出題したことになる。となると、これは単に“教科書に出ているから”という言い訳ではすまされず、それ相当のセンター独自の論拠を示さなければならないのではあるまいか。
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by nitta_hitoshi | 2007-01-24 10:00