新田均のコラムブログです


by nitta_hitoshi
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2013年 07月 13日 ( 2 )

 福地は文久二年をもっとも重視して、幕府が勅命にしたがったことが決定的だったと主張しているのである。ところが、ブリーン教授は、この部分を隠して、福地にとって波及的・二義的に過ぎない翌年の将軍上洛を、彼がもっとも重視していたかのよう見せかけてしまっているのである。
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by nitta_hitoshi | 2013-07-13 10:03 | 英訳原文
「余は、徳川氏の幕府が天下を失いたるは、第十五世慶喜公の大政返上の時にあらずして、第十四世家茂公が文久二年の勅答の時にありしと云うものなり。ここにおいてか、幕府の衰亡は大いに長足を以てその気運を進めたり。」(一三八頁)
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by nitta_hitoshi | 2013-07-13 09:36 | 英訳原文